魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(抄訳)エドガー・アラン・ポー「アル・アーラーフ(Al Aaraaf)」

エドマンド・デュラックによる挿画。プロジェクト・グーテンベルク版『鐘およびその他の詩集』より。

エドガー・アラン・ポーの初期詩篇「アル・アーラーフ(Al Aaraaf)」の第二部第182行から第264行(最終行)までの日本語訳。ポー自身はこれを15歳の時に書いたと言っていたそうで、だとすると彼はこれをジェーン・スタナード夫人(ポーの初恋の人)に見せた可能性があり、スタナード夫人はこれを賞めた可能性がある。その後まもなくスタナード夫人はひどい死に方をして、ポーは心に一生癒えない傷を負います。テキストはこちら


彼は優しい心の持ち主だった
苔むす泉のほとりの旅人
天体の飽くなき観察者
月明かりのもと 彼女とともに夢を見る者
なぜなら満天の星くずが愛でるものは
本当に美しい少女の髪なのだから無理もない
そうして彼の恋愛中毒と憂鬱症メランコリーにとっては
星辰せいしん泉水せんすいも聖なるものに違いなかった
彼にとって無念の夜となったその夜
このアンジェロという少年はある山の崖の上にいた
張り出した崖下に見えるのは荘厳な空
断崖が直下の星空を睥睨へいげいしている
彼は彼女とともに座って 暗い目をして
真下の星空を俯瞰ふかんした
それから彼女の方を見た とはいえその目は
わななきながら ふたたび地球の影を映した

「ごらん イアンテ 何というかすかな光だろう
離れて見れば 地球はこんなにも美しいのか
ある秋の夕暮れ あそこのホールった折には
あの星がこんなにもいとしく 捨てがたいとは思わなかった
その夕暮れのことはよく覚えている
日はレムノス島に傾き 残照はわが座せる場所
金箔を貼られた広間ホール そこのアラベスク彫刻の上にも
布飾りドレーパリーで覆われた壁の上にも
僕のまぶたの上にも落ちていた おお夕陽の重い光よ
それは何たる眠気で僕のまぶたを圧したことだろう
夢は『薔薇園グリスタン』の詩人サーディとともに
花々や夕靄や恋歌の上を駆けた
僕は夕陽にまどろんだ そのかたわらで『死』は
この美しい島に眠る僕の五感を
それは優しくむしばんだので 『死』の白い髪が触れても
僕は目覚めず 『死』がそこにいることも知らなかった

「僕がいまわのきわに足を踏み入れたのは
パルテノンと呼ばれる崇高な神殿だった
高鳴る君の白い胸よりもなお
その立ちならぶ円柱による壁は美しかった
年老いた『時間』がわが翼を解き放ち
僕は塔から飛び立つ猛禽のごとく飛び立ち
ひと時のうちに数年を置き去りにした
僕が大気の限界へと差しかかった時
地球上の絶景のうちのその半分までが
のみならず砂漠の中の廃墟までが
図面チャートのようにひもとかれ わが眼前に繰り広げられた
イアンテ 美が僕がもとへと殺到して
僕は少なからず人間に戻りたい気がしたよ」

「私のアンジェロ どうして人間などに
ここはあなたにとって安住の地
地球よりもっと美しいこの星の上で
可愛い女の子があなたの愛を求めているのに」

「だがイアンテ 聞いてくれ はばたくわが魂が
急上昇するうちに 大気もまた薄くなり
僕の意識も朦朧としてはいたが どうやら僕が
後にしたばかりの世界は たちまち混沌カオスに呑み込まれた
地球は軌道を外れ 風にもてあそばれ
色を変えて 燃える宇宙空間をよぎった
すると僕は今度は上昇を止め
地球に向かって ゆっくりと下降し始めた
そうして目もくらむ光の中を
ふらふらと落下しながら この美しい星の上に舞い降りた
わが墜落は長くは続かなかった
君の星が地球に最接近していたからね
歓楽の夜 がたがた震えている地球を襲ったものは
あの恐怖の星 あの紅い妖星だった」

「ええ 私たちが地球に近づいたのは
私たちが姫の命令に逆らえないから
私たちは地球に近づいた 縦横無尽に
飛び交う私たち この陽気な流星の群れ
その動因は神意によるかのごとき
あの姫のうなずきがあれば充分
されどアンジェロ 地球の年老いた『時間』の神は
これ以上美しい世界の上に 翼を広げたことはなかった
アル・アーラーフがその軌道を初めてさとって
その無謀でしかない宇宙の旅を開始した当初は
その小さな円盤ディスクの影は薄くはかなく
天使の目にしか見えないファントムに過ぎなかった
けれど女の白い胸が男の目をくらますごとく
アル・アーラーフの輝きがその全貌を現わした時
運行を停止した私たちの前で 美の宝庫たる
地球はふるえたのです 女が身をふるわすように」

このような寝物語のうちに夜は過ぎて
夜が過ぎても 夜明けが来ることはなかった
二人は落ちた 自分たちの心音以外
何も聞こえない恋人たちに 天は未来を与えないから