今の時代、「うっせー、うっせー、うっせーわー!!」みたいな歌詞が書ける自称「天才」は、おそらく日本中に掃いて捨てるほどいるのでしょうが、上の「春よ、来い」のように格調高い歌詞が書ける人は、もうほとんどいないのでしょうね。口語体の中に文語体をないまぜにした、およそ奇妙な形式ですが、それでいてきわめて正確に、ほとんど外すことなく、われわれ日本人の心の急所を突いてきます。特にこの二番の歌詞、
君に預けしわが心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと 待っています…
何という美しい日本語でしょう。少し分析的に言うと、この「月日」という単語は、他の単語に置き換えることが絶対にできない。その次の行の「ずっと、ずっと」という、何か急に言葉に詰まったかのような繰り返しも、聴く者の胸にじかに響き、涙を誘います。
ただ私が考えてしまうのは、こーゆー純日本的としか言いようのない歌の魅力は、外国人には理解してもらえないだろうな、ということですね。たくさん言葉を積み重ねて「説明」することはできるかも知れないが、耳に入るなり激しくわれわれを動揺させ、涙腺を崩壊させる、この感じはネイティヴの日本語話者にしかわからないでしょう。たとえばこの歌の中に、
まなざしが肩を抱く…
というフレーズがありますが、われわれはこれを耳にしただけで、肩のあたりに何かぬくもりを感じる気がするものですが、これを翻訳するのは難しい。今ちょっとGoogle翻訳で自動英訳してみますと、
Your gaze embraces my shoulders.
となるようですが、これでは何のことやらわかりませんね。
下は英語によるカバー。ヘイリー・ウェステンラさんのカバーも聴きましたが、ヘイリーさんのは「春よ、来い」というより「春が来た」で、春を迎えるよろこびに満ちた歌で、原曲の、絶望のどん底で一縷の夢にすがっているかのような雰囲気とはまるで違います。下のレベッカさんのカバーの方が原曲に近い。
ちなみに松任谷由実の楽曲で個人的に一番好きなのは、荒井由実時代の「ベルベット・イースター」という曲です。少女の感性というものをこれほど鮮烈に印象づけた楽曲を、他に知りません。