魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

岩井三四二『政宗の遺言』

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表題の時代小説につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


岩井三四二政宗の遺言』(エイチアンドアイ)を読了して。
真摯な執筆活動を止める事の無い時代小説の名手・岩井三四二が、戦国時代の梟雄・伊達政宗(仙台62万石の藩主)のイメージを一新する新作です。政宗に仕えて2年弱の新参小姓・瀬尾鉄五郎の視点からの人間伊達政宗を描いた長編歴史小説です。又伊達家の語り部をもって任じる佐伯伊左衛門の講釈を交えて進行してゆきます。伊達家の石高62万石は、加賀・前田家、薩摩・島津家につぐ石高ですね。当時の武家石高ベスト3に位置します。

病身の政宗、最後の鹿狩り&辞世の句を詠む

1636年伊達政宗主従(総勢5000人)は桃生郡で鹿狩りに興じます。この頃既に政宗の体調は日々優れず、伊達家家中はピリピリするやら、しんみりするやら、一喜一憂です。
つまり、政宗没後の家督相続(誰が跡目相続するか)、徳川幕府が難癖を付けて伊達家改易を強行しないだろうか等です。当然ですが、伊達家が無くなれば家臣たちは失業してしまいます。浪人の身の上です。そう遠くはない来るべき時にどう備えるか?ですね。
この様な状況下、眉目秀麗の瀬尾鉄五郎は、主君伊達政宗が江戸から仙台に帰着するのに供をして初めて仙台に赴きます。そして小姓であると同時に黒脛巾組(くろはばきぐみ=忍者・間諜)の働きをする任務を父から与えられます。秘密の仕事です。勿論政宗は知っています。
気晴らしの遊びばかりではなく、戦の鍛錬の場でもあった狩りの中休みに、政宗は鉄五郎に下問します。そして父輝宗の最期に関わる戦と自分の初陣の話を滔々と話します。
「そなたたち、もし父親が敵に捕らえられ、目前で連れ去られようとしたら、いかがする」
これは昔、父伊達輝宗が和睦の挨拶に来た二本松城主・畠山義継(周旋したのは伊達実元)に人質にとられて、家臣たちが誰も手が出せない時に、政宗は父親ごと義継も鉄砲で殺します。
父親を鉄砲で打つ下知を出します(父輝宗が、義継に脇差で滅多刺しにされた後のこと)。
この件は後に、小手森城の撫で切りと共に、荒ぶる戦国武将・伊達政宗のイメージを強固にする役割を果たします。
そして、能筆の政宗は自ら辞世の句を詠みます(文化人の一面も持ち合わせていますね)。
政宗が辞世の句を詠んだ瞬間から、忍者集団の活躍が始まります。
即ち伊達家から謀反者を出さない事。後継者は正室愛姫所生の忠宗。だが、相続権を持っているのは、側室腹の秀宗・宗泰・宗実の3人の男子。家中が割れる原因があります。幕府は、何らかの粗探しをして伊達家改易を狙っている可能性がある。正に内憂外患の状態です。

暇乞いに江戸へ出立、籠は奥羽街道を南下

亡母保春院の菩提寺の落成と13回忌をすませ、自分の墓所を指定した後、家臣の止めるのも効かず、慌ただしく前倒しで将軍家光に最後の暇乞いをする為、威容を整え出立します。
そうまでして、政宗はなぜ最後の暇乞いに拘るのでしょうか?
ともあれ、参勤の行列は進みます。不思議な事に、福島や二本松の辺りでは政宗の病状はひどくなります。なんでも政宗を怨む怨霊がいるらしい。
この旅呈の中で、鉄五郎は、伊達家の語り部をもって任じている佐伯伊左衛門の知遇を得て、人取り橋の合戦の話を聞きます(影に黒脛組の活躍があった)。政宗が病身を押して律儀に日光東照宮へ参拝する理由も。しかも家光は、何も考えていないのか改築した東照宮の境内(かなり広くて、しかも石段のある)を伊丹播磨の守に案内させます。
これによって、政宗はかなりの気力・体力を削り取られます。

江戸に到着

伊逹家の行列は千住に到着します。作法に則り、到着の伝令を飛ばします。幕府からは、将軍家光が政宗の体調を気遣いしているとの問い合わせがあるが、黒脛組としては額面どおりに受け取る訳にはいきません。
政宗上屋敷に入る前に、誰か忍び込んだ者はいないか(政宗の遺書があるかさぐられていないか)等間諜としてすることは、沢山あります。連絡や旅の荷解きや掃除など、伊達家臣たちがバタバタしている所に、早速将軍家光の代理の御上使・松平伊豆守が家光の口上を携えて来ます。
しかも政宗の体調を気遣う口上です。江戸城登城を楽しみにしているともとれる口上です。

家光にお目見え

家光と政宗の対面は和やかに滞りなく終わり、翌日には将軍家お抱え医師の半井盧庵を診察や調剤に寄越す厚遇ぶりです。家光の厚意なのかもしれませんが、迎える伊達家はてんやわんやで、どの様な人が出入りするのかチエックするのは不可能です。その上あろうことか、元老中筆頭・土井大炊守が、江戸屋敷に暫く詰めて上使として政宗に1日2回面会するとやって来ます。総て家光の命令なのですが、政宗の健康状態が心配なのでしょうが、自分の要求のみ満たして、迎える伊達家への逆忖度はありません。生まれながらのお世継ぎはこんなもんですね。とうとう伊達家江戸屋敷に幕府の拠点が創られてしまいます。何より政宗自身が、気を張っていなければならず、心身の療養をする状態ではなくなってしまいます。

伊左衛門の講釈

黒脛組の任務はお手上げ状態で、小姓たちは伊左衛門の話を聞きに行きます。話の内容は、摺上原合戦の後、小田原合戦遅参の件。伊達男の語源になった(?)政宗は、終生服装・身だしなみに気を配り、自分を演出する工夫をしていました。遅参を咎められるであろう秀吉との面会には髷を結わず、白小袖のみ着用します。奥州探題として死装束で秀吉と面会する。これで、改易のピンチを免れます(今井宗薫前田利家も関わっている)。
そして、2度目の死装束の話です。これは、大崎の一揆をわざと起こさせた謀反の証拠があるとの疑いを晴らす為なのですが、今回は金箔を貼らせた磔柱(十字架?)を背負っての聚楽第での会談です。秀吉もそう甘い顔は出来ないのですが、証拠の書状が偽物であるとの結論を出します(花押が偽造されている)。

あわただしい伊達屋敷

伊左衛門の長い講釈の間にも、鉄五郎の身辺は時々刻々と変わります。将軍家からの医師団が押し寄せたりします。結局は曲直瀬道三です。又同僚の利八郎が、女中に頼まれた買い物に出たのち、不審な殺され方をします(この女中も黒脛組とつながっています)。
ほぼ同時期に、上様のお成りがあります。将軍のお忍びの伊達家訪問です。
最後には人払いをして、政宗と二人で長い時間の話をしたようです。瀕死の病人に何の話?
そうこうしている間にも、政宗の病状はじりじりと進行し、誰の目にもわかるように腹水が溜まって来ます。又、屋敷が幕府の回し者に襲われたりします。一体何が目的でしょうか?
幕府は政宗に秘伝書箱を開けさせるべく、幾度となく屋敷を襲わせます。
大いなる謎ですが、死期を悟った大名がする身辺整理とは?という観点からすると、見当がつきます。派手好みで、自分に恃むところが多く、謀略好きとなれば、書状は欠かせません。
政宗のみが開ける事ができる秘蔵箱・秘伝書箱の中身を吟味して、謀反の証拠になる書状は焼却処分をする。保管をしても大丈夫な書状を選り別けなければなりません。
伊左衛門の話は、『家康の遠き道』とも重複します。要は支倉常長をスペインに送ったことから、フェリペ2世との遠交近攻を疑われたわけですね。南蛮王の書状が謀反の証拠となるわけです。
伊達家の秘伝書箱を巡って鉄五郎には信じられない事が起こります。鉄五郎は中より、証拠の書状を手渡されます。優しい父は幕府と伊達家を両天秤にかけている。伊左衛門は、情報提供を求めてきます。

政宗死す

正室のたっての見舞いをことわり、知死期を悟った政宗は、身だしなみを整え、その時を待ちます。政宗の今際のことばを聞き取ったのは、鉄五郎でした。最後の言葉は「ははうえ」でした。

鉄五郎の中で、伊左衛門からきかされた政宗像が崩れていきます。
殿様は芝居が上手だった。虚像と実像が駆け巡ります。
人生の決断の時です。父をとるか、伊逹家をとるか、2択です。
決断をします。何方をとるかは読んでのお楽しみです。

従来の伊達政宗像のトレ-スを行い、新参者が些細な疑問を積み上げていき、あっと驚く結末の傑作です。
仙台・伊達家初代に興味のある方、戦国時代・関ヶ原合戦に興味のある方にお薦めします。

天一

政宗の遺言

政宗の遺言