この辺でルネ・ヴィヴィアンの詩をひとつご紹介するのがよろしいかと存じます。例によって英訳から、と行きたい所ですが、彼女の作品はほとんど英訳されていないらしい。「レスボスの島」(http://www.sappho.com/)というサイトに数篇アップされているのは希少価値があるということになりますか。その中から「現れる薔薇」という詩、抄訳でごめんなさいですが。
薔薇園を出ると 薔薇の花たちがわたしについてきた…
わたしはその微かな吐息を飲み込み そのいのちを吸い込んだ
そのすべてがここにあります
奇跡です…星たちが速やかに
現れて 広大な窓を横切り
熔けた黄金を注ぎかける
ほら 花々と星くずの中
わたしの部屋の中で あなたが帯を解いて
あなたの裸身がきらめく
あなたのすばらしい目がわたしの目を見つめる
今は星も花もなく 寒い夜の中で
わたしはありえないものを夢みる
イギリス旅行で仲直りしたはずの二人ですが、それも束の間。津波のように押し寄せてくるルネの愛の詩を前に、ナタリーはたじたじと後ずさりします。「わたしは愛されるほうよりも愛するほうではなかったか?このように自分本来の役を奪われて、わたしはしばしば苛立ち冷酷になった。そして悲しいことに、ルネに対して不実になるか、あるいは真の自分を諦めるしかないだろうと考えた」。仲直りのための旅行がふたたび提案されます。もともとルネは旅行好きでした。あるいは放浪癖があったと言った方がいいかも知れません。ナタリーはアメリカの実家へルネを招待したのですが、バーハーバーではナタリーの少女時代からの情人エヴァ・パーマーがナタリーの帰りを待ちわびており、ルネはまたしても煮え湯を飲まされます。
1901年、ヴァイオレット・シリトーの急逝とナタリーの浮気が原因で、ルネとナタリーの関係が険悪なものになった話は前にしました。父の急病でルネのもとを離れなければならなくなった時、ナタリーは正直言って「ほっとした」ということです。なかなか実感がこもっていると思います。ルネもスコットランドの実家へ帰っておりましたが、ナタリーがある貴族から求婚されていると聞いて「気を失って頭を家具にぶつけ、ひどい顔になったと思い込んだ」。この頃からルネはナタリーと別れて「植物や動物のように、小さな苦しみも大きな苦悩も忘れて」平和に生きていこうと考えるようになります。
次から次へと現れてくる求婚者たちの包囲網を突破して、ナタリーがようやくパリへ舞い戻ってみますと、ルネは既にある大金持ちの男爵夫人と「結婚」したあとでした。この「結婚」という言葉はルネ自身が使っている言葉ですが、われわれ傍観者から見ると、ルネはこのおばさんに「囲われていた」と言った方が正確だと思います。この大金持ちの男爵夫人ですが、ウィキペディアには実名が載っていますが、ここではこの本(ジャン・シャロン著『レスボスの女王』小早川捷子訳)で使われている「ラ・ブリオッシュ男爵夫人」というあだ名を使います。
「ブリオッシュ」というのは、ウィキペディアによりますと、普通だるま形に成型されるパンの一種で、食事というよりはお菓子として扱われることが多いそうで、マリー・アントワネットが「パンが手に入らなければブリオッシュを食べればいいのに」と言ったとか言わないとかいう話が載っております。くだんの男爵夫人は体型がこのだるまパンに似ていたのでこういうあだ名がついたということですが、実際見てくれ以上に下らない女だったようで、このおばさんが自分の名で出版した詩集の中身はほとんど全部ルネの作品だったという話が、これまたウィキペディアに載っております。以後、ナタリー・バーネイは囚われの美女を救い出そうとする白馬の騎士よろしく、ルネをだるまパンから奪い返す戦いを開始します。