魔性の血

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辰野隆「レスボスの女性に関する一考察」

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辰野隆東京帝国大学教授(昭和30年撮影)。ウィキメディア・コモンズより。出典は『アサヒグラフ』 1955年12月7日号。


辰野隆(たつの・ゆたか、1888‐1964)博士の小論文「『レスボスの女性』に関する一考察(ルイス。ボオドレエル。ブウルデ)」を読む(『仏蘭西文学』下巻所収)。
まず指摘しておかなければならないのは、この論者の女子同性愛に対する、耳をふさぎたくなるような侮辱的表現ですね。この論文が書かれたのが1926年、今から約80年前ですか。論者の何ら悪びれるところのない論調をたどっていると、当時の日本ではむしろこういう見方が一般的であったと考えた方がよさそうです。「大学教授と乞食は三日やったらやめられない」というのは辰野博士の遺した迷言ですが、今こんな文章を公にしたら、確実に教壇を追われているでしょう。
腹を立ててばかりいても仕方ないので先へ進むとして、この論文は『ビリチスの歌』の中から「ムナジディカの胸」という短い散文詩と、『悪の華』の中から「デルフィーヌとイッポリート」という長い韻文詩、それにエドゥアール・ブールデ( Bourdet, Edouard 1887-1945)の「女囚(La Prisonnière,1926)」という戯曲のあらすじを紹介して、これに論評を加えるという形で成り立っております。
このうち「ムナジディカの胸」と「デルフィーヌとイッポリート」とは仏語原詩が全文引用されております。「ムナジディカの胸」は短いので、ここで拙訳にてご紹介しておきましょう。「デルフィーヌとイッポリート」はこちらをご覧ください。

彼女は片手で、注意深くチュニックの前を開き、女神の祭壇へのお供えとして、生きたつがいの雉鳩を捧げる者のような手つきで、その熱くて美しい乳房を私に差し出した。
「これを愛して」と彼女は言った。「わたくしはこれをたいそう愛します。これは小さな想いびと、小さな子どもたちなのです。独りの時のわたくしは、これにかかりきり。これと遊んでやり、これを喜ばせます。
「わたくしはこれを牛乳で洗い、花びらをふりかけ、わたくしのよく梳かした髪の毛で、その乳首の先の方まで優しく拭いて乾かします。これを愛撫するとき、わたくしの身は震えます。それから柔らかい羊毛に寝かしつけます。
「子どもを作らないわたくしのために、わが乳飲み子となりなさい。またわがくちびるからは遠いゆえ、代わってこれに口づけをなさい」。

ブールデの「女囚」という作品は、辰野博士の要約によれば、女子同性愛をテーマにした作品と言うよりも、女子同性愛によって家庭崩壊の憂き目に会った夫たちの物語と言った方がよさそうです。別に目新しいネタではありません。日本でも今では同じような内容の小説や映画が、それこそ掃いて捨てるほど流布していることでしょう。
しかしこの論文が書かれた当時はそうではなかった。少なくとも日本では考えられないことだったようで、「僕を驚かせたのは、批評家三人が三人とも、社会的事実としてのサフィスムを日常茶飯事として認めてゐることである。現代仏蘭西の社会に於ては、少くも巴里といふ都会に於ては、呪はる可きサフィスムが果して驚くに足りぬ現象なのだらうか。性に関する自由主義が既に其処迄悪化して来たのか。」などと辰野博士は書いておられます。
カーミラ』に出てくるスピエドルフ将軍の台詞ではありませんが、人間誰しもみずからの予断と偏見の奴隷で、見たくないものはすべて目の前から消えてしまいます。故にボードレールの「デルフィーヌとイッポリート」についても、彼が歌ってみせた「『呪はれたる女』の世界は観察されたる社会、人生ではなくして、喚起せられたる『まぼろし(ヴィジョン)』であつた。昼夜を分たぬボオドレエルの悪夢の一節であつた。」ということになり、さらには「而して斯のごとき悪夢の浮遊し旋回する巴里も亦ボオドレエルに取つては『まぼろし』であつた。」てな調子で、論点がどんどんずれていってしまいます。
これだけだと、ここでわざわざご紹介するまでもない、過去の学者の不出来な論文ということになりましょうが、私が注意を惹かれたのは次の一節です。

然るに、ボオドレエルが悪夢の裡に見たデルフィイヌとイポリットは、いつ迄もまぼろしの世界に停つてはゐなかつた。ボオドレエルの影響を受けた「菫の女詩人」ルネ・ヴィヴィヤン(Renee Vivien 1877-1909.本名Pauline Tarn )の詩となり小説となり、サフィスムの主張となつて男性に対立する近代的レスボスの女性の道場を建てたかの観を呈するに至つたのである。欧州戦争に於ける男性の著しき減少と、巴里のリベラルな風習が更にサフィスムを助長したらしい形跡を察すれば、ボオドレエルが部屋の中に眺めた光景が、ヴィヴィヤンに依つて巴里の一角に於ける現象となり、次で街頭に散見する近代的女性の一典型をなすに至つたと推す可き理由がある。

このルネ・ヴィヴィアンと言う人の名前は知っておりました。というのも、お粗末な話ですが、この論文を読む数日前に古本屋で『レスボスの女王』(ジャン・シャロン著、小早川捷子訳、国書刊行会)と言う本を立ち読みしていて、この名前を覚えたのです。もっともこの『レスボスの女王』はルネ・ヴィヴィアンの伝記ではなく、ルネ・ヴィヴィアンをこのサフィズムの道に引きずり込んだナタリー・バーネイという人の伝記です。この時は立ち読みしただけで、うっかり買い損ねてしまったのですが、上の辰野博士の文章を読んでから無性に読みたくなり、先日図書館で借りて読了しました。とても面白い本なので、また機会があればご紹介したいと思います。