魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日夏耿之介訳)エドガー・アラン・ポー「大鴉」

ドレ「黎明のせちに遅たれつ――逝んぬ黎梛亜を哀しびて」ウィキメディア・コモンズより。

エドガー・アラン・ポーの物語詩「大鴉ザ・レイヴン」の日夏耿之介による日本語訳詩を読む。
こちらの記事で指摘した通り、日夏耿之介の著作権はまだ活きております(2026年2月現在)ので、全文引用は避け、全18節のうち数節だけ引用してコメントします。例によって読みやすいよう、多少手を加えております。拙訳はこちら

第1節

むかし荒涼たる夜半󠄁よはなりけり いたづきみつれ默座しつも
忘却の古學の蠧巻ふみの奇古なるをしじひらきて
黃奶くわうねいのおろねぶりしつ交睫まどろめば 忽然こちねん叩叩こうこう欵門おとなひあり。
この房室へやをほとほとと ひとありて剝啄はくたくこゑあるごとく
われつぶやきぬ「賓客まれびとのこの房室へやをほとほとと叩けるのみぞ。
 さはのみ あだごとならじ」

第1行:いきなりですが、「夜半󠄁よはなりけり」とありますが、語り手自身の思い出話をしているわけですから「夜半󠄁よはなり」とするのが本当でしょう。それと「いたづき」はまだいいとして、「みつれ」などという日本語を知っている日本人がいるでしょうか?さらに「默座」と聞くと、何となく畳の部屋に正座している姿を想像するのは私だけでしょうか?
第2行:苦心の訳ですね。この「古學」という言葉、今ちょっと調べてみますと、通常は江戸時代におこった反朱子学運動を指すようで、原詩の意(原詩ではおそらく「占星術」とか「錬金術」とかいった、中世のインチキ科学を指している)とはかなりズレますが、かと言って、他にどんな訳語を当てればいいのか、私にもわかりません。「蠧巻ふみの奇古なるをしじひらきて」は、感じが出ていて、佳い訳だと思います。「奇古」は日夏の好きな言葉の一つです。
第3行:「黃奶くわうねいの」とは「憂鬱な」というほどの意味かと想像しますが、訳語の選択に、訳者の趣味性を強く感じます。黄眠先生は、とにかくこの「黃」の字が好きなのです。ちなみに「奶黄ナイファン」は、今の中国語ではカスタード・クリームを指すそうです。

第2節

おもひぞいづれけざやかに あはれ師走の嚴冬なり。
燼頭もえざし火影ほかげちろり・・・と 物影かげ>)床上ゆかに描きぬ。
黎明いなのめのせちにたれつ――んぬ黎梛亜リノアを哀しびて
その胸憂むなうさはらさばやと黃巻ふみにむかへどあだなれや。
嬋娟まぐはしの稀世きぜい姣女をとめ 天人てんにん黎梛亜リノアとよべど
 とことはに 我世ここの名むなし。

第1行:私が初めてこの訳詩を読んだとき(今から50年以上前ですが)、この「おもひぞづれ」の句を「おもひぞいづれ?」の意に誤読したことを覚えています。何で誤読するかというと、係り結びの形がおかしいからです。「ぞ」という係助詞が使いたいならば、「おもひぞ」と連体形にすべきだし、どうしても已然形が使いたいならば、「おもこそづれ」とすべきところです。この係り結びの話は後でも出てきます。
第5行:嬋娟まぐはしの稀世きぜい姣女をとめ」!「まぐはし」(「まぐわし」と読む)は「目に快い」「美しい」の意の古語で、やはり日夏の好きな言葉の一つです。ここでは字面の美しさよりも、むしろ音調美の素晴らしさに注目していただきたい。「黎梛亜リノア」という美しい漢字の当て方と言い、この辺はもはや日夏耿之介の超能力の世界で、われわれにはとても太刀打ちできません。

第8節

黑檀色のこのとりが世に嚴めしくきはきはしき行儀を見れば
こころ悲しき空想も微笑みせうに解けてわれただすらく
鳥幘てうさくは削がれてあれど よるくにみぎははるかに彷徨もとほいで
こころ怯懦おぢけ面高おもだかなる 老来おいらく大鴉おおがらすにはよもあらじ。
黃泉よもつくに 閻羅えんらきみの禁領にして 首長みおやの本名を何とかぶ?」
 からすいらへぬ「またとなけめ。」

第6行:「またとなけめ」とは「二度とない」という意味の「またとなし」に、推量の助動詞「けむ」がくっついた形で、「二度とないだろう」というほどの意味です。問題は、なぜこれが「またとなけむ」と終止形にならないで、「またとなけめ」と已然形になっているのかという点です。まあ、こうした変則的な活用は、上田秋成など、江戸時代の戯作者もよく用いておりましたから、それほど目くじらを立てることではないのかも知れませんが、これが森鷗外や上田敏だったら、「またとこそなけめ」と、正しい係り結びの形を整えていたに違いありません。

第16節

われは言ふ「預言者よげんじゃよ凶精よ しかはあれ預言者よげんじゃよ とりにまれ妖異にまれ
人界をたち蔽ふ上天に是を誓ひ われ等兩個ふたり是を崇拝する
 かの神位に祈誓うけひて是をまを
哀傷かなしみになへるこの魂は はるかなる埃田エデン神苑に於て
天人てんにん黎梛亜リノアと呼べる嬋娟まぐはしの稀世きぜい姣女をとめこれをべき
天人てんにん黎梛亜リノアと呼べる嬋娟まぐはしの稀世きぜい姣女をとめこれをべき。」
 大鴉からすいらへぬ「またとなけめ。」

第2行:「われ等兩個ふたり是を崇拝する」という句の「これ」という字が脱落している版が非常に多いですが、これがないと意味が取れません。

第17節

をどこゑ振りしぼりこのわれは「とりよ、その言葉をこそ袂別べいべつしるしともせよ。
大雨風おほあめかぜや夜の闇の閻羅えんらくに海涯うみぎしにとたち還れ、
の心のものがたりたる誑誕およづれごとしるしとして、かのかぐろはねをなまひなひそ。
が閑情をな攪乱かきみだしそ。扉口とぐちなる石像の上を郤退󠄁しりぞけ。
胸奥むなおくよりは鳥喙くちさきを去り、この扉口とぐちよりは姿相すがたを消せ。」
 大鴉からすいらへぬ「またとなけめ。」

第1行:「をどこゑ振りしぼりこのわれは」いいですねー。感じがよく出ています。
第3行:この「およづれごと」(「たわごと」「嘘偽り」の意)という言葉も日夏の好きな言葉の一つです。これに限らず、この訳詩には彼の愛用語がいっぱいちりばめられていて、あたかも彼の持ち駒を――彼のいわゆる「ゴシック・ローマン詩体」における得意技を、惜しみなく、バンバン駆使することで、この訳詩全体を自作の一つに加えんとするかのごとくです。
第4行:「閑情」という美しい日本語が、ここでは見事にハマっています。

第18節(最終節)

さればこそ大鴉おおがらす いかでかけらず恬然てんぜんとその座を占めつ、
房室へやの眞上なる巴剌斯パラス神像しんぞうにぞとまりたる。
その瞳こそげにげに魔神の夢みたるにも似たるかな。
灯影ほかげの姿を映し出で、ゆかの上に黑影かげ>)投げつ。
さればこそが心 そのゆかの上にただよへるかの黑影こくえい
 まぬがれむ便よすがだも、あなあはれ
 ――またとはなけめ。

最終行:この「あなあはれ――またとはなけめ」ですが、「黄眠先生、これはないよ」と私は言いたい。原文の、

Shall be lifted—nevermore!

という絶望の叫びが、純日本風の、しょぼくれた、感傷的な嘆息にすり替えられている。この点が、個人的に、私がこの訳詩について一番不満に感じるところです。

 

 

ポーの詩のリフレインについて

デューラー「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害をおそれじ」ウィキメディア ・コモンズより。

はじめに

この辺で、ポーの詩に関する私自身の考えをまとめておこうと思うのですが、できるだけ専門的な記事にならないよう、原文の引用などはなるべく控えたいと思いますので、原文が読みたい方は、リンクを貼っておきますので、お手数ですがリンクをたどってご参照ください。なお日本語訳詩はすべて下の電子書籍から引用します。

 

「ブライダル・バラード」

まず、ポーは「リフレイン」と呼ばれる手法について、「詩作の哲学(The Philosophy of Composotion, 1846)と題されたエッセイの中で、次のように述べております。

リフレインの通常の使用は、ただ歌曲の歌詞リリック・ヴァースに限定されているだけでなく、その印象の強さは、音と思想の双方における単調性に依拠している。快感はもっぱらその同一性アイデンティティ、すなわち反復の感覚から演繹されている。そこで私は全体として音の単調さは維持しながら、思想に絶えず変化をつけることで、効果を多様化し、また高めようと決めた。

この「リフレイン」というのは、どこの国の抒情歌リリックにも見られる、およそ陳腐な手法ですが、こいつを何とかしてやろうと考えたのは、ひょっとすると後にも先にもポー一人かも知れません。このリフレイン論に限らず、ポーの着眼と着想の素晴らしさを目の当たりにするたびに私が思うのは、「お宝」というのはほんとに意外なところに埋もれているんだなあ、ということです。それが「お宝」の「お宝」たるゆえんですね。大銀行の大金庫に死蔵されているようなものは、「お宝」の名に値しません。
この「リフレインの使用法に新機軸を打ち出せないか」という着想自体は、おそらくポーがきわめて若いころからあたためていたものかと思われますが、彼が実作の上で初めてこれを試みたのは、1837年(ポー28歳)初出の「ブライダル・バラード(Bridal Ballad)」という作品においてです。
この詩をご紹介する前に、この詩の設定について少し述べます。「ブライダル・バラード」というタイトルは、いささか皮肉を含んでいるように思われます。直訳すると「華燭の賦」といった感じになるかと思いますが、内容は決してそんなおめでたいものではありません。結婚式に臨んで、幸せいっぱいなはずの花嫁が、神聖な誓いを交わす土壇場になって、ふと死んだ彼氏のことを思い出し、不吉な予感に恐れおののく、という内容だからです。これには作者の個人的な失恋体験が絡んでいるという説もあるが、ここでは省きます。
以下に拙訳を示します。太字で表した部分がリフレインです。

それは指輪があるから
 それは花の冠があるから
綺麗な衣裳も宝石も
みんな私の意のままだから
 だから私はうれしい

それに何より優しい新郎がいるから――
 だが彼が誓いの言葉をささやいた時
私の胸は騒いだ
その言葉は弔いの鐘のようで
その声はあの男の声だったから
谷間の戦闘でたおれて
 帰らぬ人となったあの男の

彼はぼんやりしている私に声をかけて
 私の額に口づけをした
すると私は幻覚に襲われ
それは私を墓地へと連れて行って
それで私は目の前の男に
彼を死んだデロルミだと思って
うれしい」と言ったのだった

こうして愛が告げられ
 これが交わされた誓いであって
それで私が不実な女となって
ひそかに断腸の思いをしても
人はこの黄金の指輪で
 私を幸せ者と呼ぶでしょう

ああ 私は目を覚まさなければ
 なぜなら私は夢を見ていて
それで心配でたまらないから
これは一大事ではないかと
これでは見捨てられた故人が
 死に切れないのではないかと

おわかりでしょうか?これが「ポー式リフレイン」です。原語は「ハッピー(happy)」という、およそ平凡極まる英単語ただ一つ(最後の「死に切れない」だけ「not be happy」)です。それが詩節スタンザを追うごとに意味が変わっていくのです。これは原詩を読むと、非常に不思議な感じ――敢えて言えば、非常に神秘的な印象を受けるものです。まるで見る角度によって色が変わる宝石を見ているような気がします。もちろん、こうした効果は、訳詩では再現できません。

「大鴉」における「ネバーモア」の採用

上の「ブライダル・バラード」は、実験的な作品だと私は思います。確かに「リフレインの用法に新味を加える」という点では成功していますが、一篇の詩としては、必ずしも上出来とは言えません。「ブライダル・バラード」は、偉大な文学作品だとは、とても言えないのです。
ひょっとすると、作者はこれを失敗作と見ていたかも知れません。エドガー・アラン・ポーは大変気難しい批評家で、他人の作品に対しても辛辣でしたが、自作についても容赦なかった。彼が自分の詩を「ガラクタ(trifles)」と呼び、自分の詩集について「この中には公衆にとって有益なものも、私自身にとって自慢になるようなものも何一つない」と書いたのは有名な話です。彼は上の「ブライダル・バラード」について、「どうして失敗したのか」「どこを改善すればいいのか」と、われ知らず自問自答していたのかも知れません。そうして敗因の一つとして気づいたのが、リフレインとして採用した「ハッピー」という言葉の響きの軽さだったのではないでしょうか。
「詩作の哲学」の中で、彼は名作「大鴉(The Raven)」の創作過程を分析しながら、こう書いています。

リフレインを使うと決めたからには、詩を詩節スタンザに分けることは必然の帰結で、リフレインは各詩節スタンザの結語となる。さような結語が力を持つためには、その語が響きがよくて、長い強勢エンファシスを置くことができるものでなければならないことは必定である。

「ハッピー」では響きが軽すぎて、強勢エンファシスを置くことができない。だから読者に強い印象を残すリフレインが作れなかった。それではもっと重い響きの言葉を使ったらどうだろう。そうした反省から、数ある英単語の中でもチャンピオン級の重い響きを持った「もう二度とないネバーモア(nevermore)」という単語が選ばれたのではないでしょうか。
「ブライダル・バラード」では、ポーはリフレインの「ハッピー」という単語の辞書的な意味そのものを変化させて用いましたが、「ネバーモア」ではそれは難しいので、彼は詩「大鴉」全体を物語仕立てにすることで、違う文脈でこの語を繰り返し登場させて効果を多様化しようとしました。ボードレールの指摘を待つまでもなく、この創作が非常に困難だったことは明らかで、まあ常識的に考えて、おそらく着手から脱稿までに数年はかかっているでしょう。いま「脱稿」という言葉を用いましたが、ポーのようなタイプの詩人の場合、「完成」という言葉は使いづらい。ポール・ヴァレリーの純粋詩論によれば、「詩は決して完成しない」からです。
トマス・マボット教授による「大鴉」の注釈の中に、こんな話があります。ジェームズ・バーハイトという人が少年のころ、ニューヨーク州のサラトガで、未完成の「大鴉」を大声で朗読しているポーとばったり出くわした。少年は言った。

「おじさん、『ネバーモア』なんて名前の鳥、本当にいるの?」

するとポーは叫んだ。

それこそが…俺が探し求めていたものなんだ!

マボット教授は、この話は「面白すぎ」て、信憑性には乏しい、としています。しかしポーが「詩作の哲学」にある通り、もし本当に「大鴉」をクライマックスから書いていったのなら、どうやって話をそこまで持っていくかという問題は、大変な難問だったろうと思われます。結末の絶望感をより深いものとするために、その前に少しユーモラスな、敢えて言えば読者が脱力するようなシーンを入れることで、落差ギャップをつけたい、という思惑は、ポーの頭に自然に浮かんできたことでしょう。語り手が鳥に名前をたずね、鳥が「ネバーモア」と答えるというあのシーンは、上のような偶然のきっかけから生まれたものだったのかも知れません。

「アナベル・リー」と「エルドラド」

「大鴉」で成功を収めて以来、「ポー式リフレイン」はポーの得意技となりました。たとえば死後発表の「アナベル・リー(Annabel Lee)」という詩に用いられている「海のほとりの王国で」というリフレインは、きわめて音楽的で、ただ単に反復されるだけでも耳に快いものですが、ポーはこれに、さらに深く、さらに豊かな寓意を込めようとして、工夫を凝らしました。

だからそらで人々を仕切っている天使たちも
 海で人々をおびやかす魔物たちも
俺とアナベル・リーとを結ぶ固い絆を
 断ち切ることはできません…

だが「ポー式リフレイン」がもっとも華々しい成功を収めたのは、これまた死後発表の「エルドラド(Eldorado)」という詩においてである、と私は思います。もう詳しい解説は省きますが、これは一詩節スタンザ六行×四詩節スタンザ=全二十四行の短い詩ですが、「ポー式リフレイン」の真骨頂が見られます。各詩節スタンザに「シャドウ(shadow)」という単語と「エルドラド(Eldorado)」という単語とがリフレインとして配置され、このうち「シャドウ」という単語は、「ブライダル・バラード」の時と同様、辞書的な意味が変化します。それにつれて「エルドラド」のイメージも、第一詩節スタンザにおける「桃源郷」「楽園」といった明るいイメージから次第に暗転して、最終的には人間が足を踏み入れてはいけない領域――そこへ踏み込む者は、狂死を覚悟しなければならない、そんな禁断の世界を暗示するようになります(ボードレールの「ル・ヴォワイヤージュ」の結末と少し似ています)。この作品は、まさにマジックです。「ミステリアスにして十全なること水晶のごとし」というボードレールの讃辞は、「大鴉」よりもこの「エルドラド」にこそふさわしい、と私は思います。

ドラッグソングと『悪の華』

ドラクロワ「アルジェの女たち」。シーシャ(水たばこ)にアヘンを混ぜて吸っている。ウィキメディア・コモンズより。

「ドラッグソング」はドラッグが生んだ作品か?

「ドラッグソング」というジャンルが、ロック音楽にはございますね。あたかも薬物の影響下に書かれたかのような、怪しげな曲の作り、もしくはアレンジの仕方になっているものです。詳細は専門家にお任せしたいと思いますが、古典的なところでは、たとえばジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」とか、ビートルズの「ルーシー」何とかいう、カタカナで書くと物凄く長ったらしいタイトルの曲がありますね。
レッド・ツェッペリンでは「胸いっぱいの愛を」にもそういう雰囲気があるが、特に四枚目のアルバムの「フォー・スティックス」が強烈ですね。あと個人的に印象に残っているのはハートの「ストレンジ・ナイト」という曲です(『ベベ・ル・ストレンジ』所収)。
ケイト・ブッシュは、この分野における「巨匠」ですね。たとえば一枚目のアルバムに入っている「カイト」とか、四枚目のアルバムのタイトルナンバー「ドリーミング」とか、他にもいろいろあると思います。
あの、断っておきますが、この記事は薬物の使用を推奨するものではございません。薬物は厳しく規制されるべきだと私は思います。私自身、薬物に手を出した経験はないし、お酒は飲みますが、これも若い人にはおすすめしません。こちらの記事にも書いた通り、人を依存させる傾向のあるものはすべてだと考えるからです。「マリファナくらいいいだろう」とも思いませんし、「アーティストだから許される」という考え方にも反対です。そもそも薬物の影響に支配された状態で、創作活動なんかできるわけがない。ネット記事を見ておりますと、「薬物による幻覚を、音楽によって再現した」などと、およそ安易な言語表現が見受けられますが、そんなことがホントにできるなら、やってみせてくれよ、と言いたくなります。
上に挙げたいくつかの音楽作品の例は、あたかも薬物の影響下にあるかのごとき効果を装っているだけで、決してドラッグが人間に書かせた作品ではありません。そこにはむしろ、充分に覚醒したアーティストたちの溌溂たる創意工夫が認められるのであります。単なる「写実」、単なる「日常」の再現だけでは「アート」の名に値しない。そこに幻想性を加えることで、より深い意味を帯びさせ、それによって鑑賞者を「非日常」の方向へと引きずっていきたい。そうした欲求をアーティストが持つのはむしろ自然で、健全なことです。

ボードレールの「ドラッグソング」

ボードレールの『悪の華』というと、今から200年近く前の作品ですので、話が飛躍しているように思われるかも知れませんが、実際にこの『悪の華』という詩集を読んでおりますと、上に例を挙げた「ドラッグソング」の原型のような表現に、ときどき出会います。
有名な「交信コレスポンデンス」という題のソネットもそうですが、特にはっきりとした「作意」が示されているもの、「この詩は薬物の影響下に書かれたのだよーん」と、あたかも読者に向かってアピールするがごとき設定で書かれているのが「パリの夢(Rêve parisien)」と題された一篇です。
拙訳はこちらとなります。文字通り「つたない訳」で、お恥ずかしい限りですが、まあだいたいの雰囲気は伝わるかと思います。周知の通り、『悪の華』はいくつかの章に分かれておりまして、この「パリの夢」は「パリ風景」の章に入っているので、タイトルだけ見ると「夢に出てきたパリの街角の情景を歌った詩か?」などと勘違いしそうなところですが、そうではない。このタイトルは、あるいは「パリジャンの夢」とでも訳すのが本当かも知れません。
展開されるのは、実際のパリとは似ても似つかぬ風景――すなわち幻想的というか、超自然的というか、あえて言えばシュールレアリスティックな風景です。もちろん、当時は「シュールレアリスム」などという考え方はありませんし、あったとしても、ボードレールは支持しなかったと思います。そしてこの詩は二部構成になっておりまして、第一部で上のような幻想風景が歌われた後、第二部では、うってかわって、薬物による陶酔から覚醒した語り手が、激しい幻滅感に襲われる様子が歌われるので、読者は「あー、これは麻薬が見せた幻覚を歌った詩なんだナー」と納得する、そういう仕掛けになっております。
ちなみに鈴木信太郎博士は岩波文庫版『悪の華』の脚注で、この詩がアルチュール・ランボーの『イリュミナシオン』に与えた影響を指摘しておられます。

「人口楽園」の夢

ここでまたまた話が飛びます。先日自宅の押し入れの中をゴソゴソやっていると、奥から『悪の華』の仏語原書が出てきた。アントワーヌ・アダム編、クラシック・ガルニエ社刊。560ページのソフトカバーで、240ページほどがボードレールの韻文詩、あとはほとんど編者による解説と注釈です。新品に近い状態で出てきたので、遠い昔にどこかで買って、一ページも読まずに押入れの奥に押し込んで、そのまま忘れていたものかと思われます。
面白半分にペラペラめくっていると、上の「パリの夢」の注釈に、この詩に影響を与えた作品として、テオフィル・ゴーチェの「モーパン嬢」や「ある夜のクレオパトラ」に加えて、エドガー・アラン・ポー「アルンハイムの地所」が挙げられておりました。この「アルンハイムの地所」というのは、これまた後世に大きな影響を与えたポーの名作の一つですが、内容は、ひと言で言うと、ポー流の「人工楽園」を描いたものです。ただ私はこの「アルンハイム」と「パリの夢」との間に、何か関連があるとは気がつかなかった。「何で気づかなかったんだろう」と思うと気になってきて、ポーの原文とボードレールの仏訳を(ネット上で)探し出してきて、ざっと目を通し、「なるほど」と納得しました。この「アルンハイム」に関する詳しいお話は、また別の機会に譲りたいと思います。ボードレールの目には、ポーの「人工楽園」もまた、薬物による幻覚のごときものと映っていたのかも知れません。

 

 

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(抄訳)ボードレール「エドガー・ポーに関する新しい覚え書」(3/3)

フェリックス・ヴァロットン「エドガー・アラン・ポー」ウィキメディア・コモンズより。

「一切は結末のために!」

詩人、この苛立ちやすき種族よ!*1』――詩人(ここではこの語をもっとも広い意味で、あらゆる芸術家の意を含めて用いる)が苛立ちやすいものだとは、よく言われることである。だがその理由については、一般によく理解されていないように思われる。芸術家が芸術家たるゆえんは、彼のずば抜けた美的センスにあるのであって、それは彼に大変なよろこびをもたらすのだが、それは同時にあらゆる欠陥とアンバランスに対する、同様にずば抜けた鋭敏をも含意し、内包するものなのである。かくして、真の詩人の目に留まったミス、あるいは不正は、通常の判断基準に照らして、当の不正とはまったく不釣り合いな程度にまで彼を激怒させるのだ。詩人は不正のないところに不正を見たりすることは断じてない。ただ、詩人の素質を持たない者の目にはぜんぜん不正が見えないところに、不正を見ることが実によくある。すなわち、詩人のかの悪名高い苛立ちやすさとは、一般に考えられているように、気質に由来するのではなく、デタラメと不正に関する常軌を逸した洞察に起因するものなのである。この洞察とはもっぱら、真理に対する、正義に対する、均整プロポーションに対する――ひと言でいえばに対する、彼の鋭い直感の帰結に他ならない。とはいえ、ここで一つだけはっきりと言えることがある。すなわち(一般人の目から見て)苛立ちやすくない人間は、決して詩人ではないということだ。*2

ポーはみずからこのように語ることで、彼自身を含むすべての詩人について、素晴らしい、鉄壁の弁明を用意している。彼はこの苛立ちやすさを文芸の世界にまで持ち込んだので、彼が詩歌に対して付与していた極度の重要性は、彼の詩評のトーンを、へぼ詩人にとってはあまりにも高飛車と感じられるものとした*3。ポーが戦わなければならなかったいくつかの偏見――彼の周囲に渦巻いていた謬説びゅうせつや俗論――それはまた、わが国フランスの出版業界をも汚染していることはすでに述べた。したがって、詩作に関する彼のもっとも重要な意見のいくつかについて、手短に説明を加えることは有益であろう。両国における誤謬の平行性パラレリスムは、説明の適用を容易ならしめる。
ただ、ここで断っておかなければならないのは、ポーの眼中にあったのは単に天性の詩人、生得しょうとくの詩才だけではない。彼はまた科学、労作、分析をも視野に入れていたのであって、それは思い上がった無学者たちには途方もないことと映るであろう。彼はただ単に、さちあるひとときのはかない影を、みずからの意志に従わせるために――それは他界からの、天来の恩恵とも見なし得るような、稀に見る尊い瞬間における、絶妙な感覚、スピリチュアルな渇望、詩的高揚の状態といったものを、こころよく思い出すために――ただそれだけのために、相当な努力を払ったのではない。彼はまたこのような霊感を、方法メソッドに、すなわちもっとも厳密なる分析に、従属させたのである。最適な手段を選び出さねばならぬ。彼は絶えずここに立ち返る。彼は賢者の雄弁をもって、効果に対する手段の合致を、脚韻の用法を、リフレインの改良を、詩趣に対するリズムの適合を語る。触知できないものをとらえてこそ詩人だ、と彼は言う。彼に言わせれば、詩人とは、みずからの記憶の飼い主であり、言語の支配者であり、常に閲覧可能な状態に用意されている彼自身の感情の登記簿レジストリなのだ。「一切は結末デヌーマンのために!」と彼はしばしば繰り返す。一篇のソネットですら計画プランを必要とする。そして構成、すなわち骨組みは、精神の作品の神秘的ないのちを保証する、もっとも重要な要素なのである。

「長い詩は存在しない」

私は当然「詩の原理」*4と題されたエッセイに言及するが、そこではのっけから、詩の長さもしくは規模に関する邪説、すなわち一般に、長大な詩にあるとされる馬鹿げた価値に対して、力強い反論が披瀝ひれきされる。「長い詩などというものは存在しない。『長い詩』という言い回しには、語義の撞着どうちゃくが含まれている」確かに、一篇の詩が詩の名に値するのは、それが魂を興奮させ、高揚させる限りにおいてであって、詩の実質的価値は、魂のこの興奮を、この高揚感を根拠としているのである。だが心理的必然によって、すべての興奮は一時的なものだ。この言わば読者が力づくで引きずり込まれる特異な状態は、人心に可能な熱狂の持続時間を超える長さの詩を読んでいる間じゅう、維持されることなどあり得ない。
かくして叙事詩は断罪される。なぜなら叙事詩と呼ばれる長さの作品は、あらゆる芸術作品の死活に関わる条件、すなわち統一というものを犠牲にしてこそ、初めて詩ととらえ得るものだからだ。ちなみにここで言う「統一」とは、主題の統一の意ではない。先ほど短編小説と長編小説とを比較した際に触れたような、印象の統一、効果の首尾一貫性を言うのである。こうしてみると、叙事詩は、美学的には、一つの逆説パラドックスと映る。あるいは古代においては一連の抒情詩として制作されたものが、後世の編者たちによってつなぎ合わされた結果、叙事詩という形式ができたとも考えられる。だがあらゆる叙事詩的意図は、明らかに未熟な芸術的感覚の産物である。そのような芸術的変則の時代は終わった。そうして実のところ、「長い詩」などというものが、その言葉通りの意味で、世に行なわれた時代が本当にあったかどうかも、きわめて疑わしいのだ。
ちなみに短すぎる詩、すなわち生成された興奮に対して充分なパブラムを供給しない詩、読者の食欲に見合わない詩、これもまた理想からは程遠い。その効果は、いかに鮮烈であろうとも、長続きしない。それは記憶に残らない。それは封蝋の上にあまりにも軽く、あまりにも急いでされたために、印影を残すいとまのなかった封印のごときものである。

「教訓性」の邪説

だが実はもう一つの邪説があって、それは精神的偽善と、愚鈍と、俗悪との恩恵を受けた、より手ごわく、より長生きしそうな邪説――より頑迷固陋がんめいころう謬説びゅうせつなのである。私が言いたいのは教訓性の邪説のことであって、これは必然的に情熱の、真実性の、および倫理性の邪説をも包含している。多くの人々が、詩の目的は何かを教えることだと思っている。すなわち、詩は良心を強化したり、品性を向上させたり、要するに、何かしら社会の役に立ちそうなことを喧伝デモンストレートしなければならないと考えている。エドガー・ポーは言う、アメリカ人はとりわけこの邪説に肩入れしている、と。悲しいかな、問題の邪説と出会うために、わざわざボストンまで出掛けて行く必要はない。まさにここフランスでも、この邪説はわれわれを包囲して、真の「ポエジー」に対して日々猛攻を加えている。もし人が、心してみずからを顧み、みずからの魂に問い、みずからの詩的体験を振り返るならば、詩が詩以外の目的を持たないことは明白なはずなのだ。詩にそれ以外の目的などあるわけがない。そうしてただただ詩を書くよろこびのためにのみ書かれた詩こそ、もっとも偉大で、もっとも高貴で、もっとも真の「詩」の名にふさわしい詩であることに疑いの余地はない。
詩が人の品性を高貴たらしめないというのではない。誤解しないでほしい。詩は最終的に、通俗な興味のレベルから人を向上させないわけではない。そんなことは明らかに馬鹿げている。私が言いたいのは、もし詩人が道徳を追求すれば、彼の詩人としての力は減殺げんさいされてしまうということだ。賭けてもいいが、彼は駄作を書くだろう。科学もしくは道徳と同一化すれば、「ポエジー」は死、あるいは衰弱を免れないのである。詩は「真実」を目的としていない、詩の目的は詩だけだ。「真実」を実証する方法はほかにあり、よそで探せる。「真実」はシャンソンとは何の関係もない。シャンソンに魅力を与えるもののすべては、「真実」からその力と権威とをぎ取ってしまう。冷徹で無情な実証的気分は、詩神ミューズの花や宝石をしりぞける。それは詩的気分の対極にある。

「美」を感じる心は不死の証拠

「純粋知性」は真実をめざし、「美意識グゥ」はわれわれに美を知らせ、「道徳観念」はわれわれに義務を説く。確かに「美意識グゥ」は、「純粋知性」とも「道徳観念」とも密接な関係にあり、特に「道徳観念」との区分はあいまいなので、ためにアリストテレスはこの「美意識グゥ」の機能のうちのいくつかを、ためらうことなく美徳のうちに分類したほどである。同様に、背徳的な行為を見て、美意識グゥを有する人間が激怒するのは、その行為の醜悪と不恰好のゆえである。悪徳は正義や真実をむしばみ、知性や良心に対して狼藉をはたらく。だがそれはまた、とりわけ和声ハーモニーに対する違反として、不協和音ディソナンスとして、 ある種の詩的精神をはなはだしく傷つけるのだ。私はあらゆる背徳的行為、あらゆる美徳に反する行為を、宇宙のリズムや音調プロゾディに対する不正ととらえても不遜ではあるまいと信ずる*5
この偉大なる本能、この美に対する不滅の本能こそ、われわれをして、この下界およびその眺めを、天界の一瞥いちべつとも、天からの通信コレスポンデンスとも思わせるものなのだ。彼方に在り、生命力が暴露するこのような一切に対する癒やしがたい渇きこそ、われわれの霊魂の不死性の、もっとも鮮やかな証拠なのである。詩により、また詩を介して、音楽により、また音楽を介して、魂は墓の彼方に位置する神の栄光を垣間見る。そうして美しい詩がわれわれを涙へと誘う時、その涙はよろこびの過剰から来るのではない。それはむしろ、流竄るざんの身でありながら、この世に姿を現した天国を、この下界において、直ちに手に入れたいと願う天性の、らされた悲しみを、聞き分けのない欲求を、立証するものなのである。
このように「詩の原理」とは、厳密かつ端的に言えば、天上の美に対する人間のあこがれである。そうしてこの「原理」の顕現けんげんは、魂の興奮と熱狂のうちにあり、それは心の陶酔であるところの情熱とも、理性のエサであるところの真実とも、まったく独立した性質のものだ。とりわけ情熱は自然であり、あまりにも自然すぎて、純粋美の世界に、調子外れの、耳障りなトーンを導入せずにはいない。またそれはあまりにも馴れ馴れしく、あまりにも乱暴すぎて、「ポエジー」の超自然的な領域に棲み着いているきよらかな欲望や、美しい悲しみや、神聖なる絶望感をはずかしめかねないのである。

自作の詩の創作過程を分析

この異常な高揚感、この絶妙なデリカシー、この不死性の強調が詩には絶対に必要と断ずることは、ポーの筆を鈍らせるどころか、むしろかえって彼の施術師プラティシャンとしての才能を、日々練磨することにつながったのであった。多くの人々、とりわけ大鴉ザ・レイヴンと題された奇妙な詩を読んだことのある人々は、作者ポー自身が、一見ざっくばらんに、とはいえ私には決して不快ではない程度の不遜さをもって、この詩を書いた方法について、事細かに説明しているエッセイ*6を紹介すると、気を悪くするかも知れない。その中で彼は、リズムの適用や、リフレインの選択――すなわち可能な限りもっとも短く、もっとも多様な使い回しに耐え、なおかつもっとも響きのよい語尾によって飾られた、悲しみと絶望とをもっとも体現した語としての「もう二度とない(nevermore)」の選択――人語を真似ることができ、なおかつ世間一般に不吉な鳥として知られている大鴉おおがらすの選択――もっとも詩的なトーンとしての「哀調」の選択――もっとも詩的な主題としての「亡きひとへの慕情」の選択――等々について説明している。「そうして私は、わが語り手を、貧者の陋屋ろうおくには置くまい」と彼は書く。「なぜなら貧困は醜悪であり、『美』の観念の対極にあるからだ。わが語り手の悲しい心は、美しく、詩的に家具調度を配置された室内にこそ、慰めを見出すだろう」読者はポーのいくつかの小説のうちに、意匠を凝らした環境と、東洋風の豪奢壮麗といった、美に対する、とりわけ異形いぎょうの美に対する、過度の偏愛耽溺の、奇妙な症例を見るだろう。
私はこのエッセイが、いささか不遜なトーンを帯びていると言った。霊感インスピレーションの信者たちは、ここに詩神ミューズに対する冒涜ぼうとくを見出すに違いない。だが私は、この文章は、まさにそういう人たちのために書かれたのだと思う。他のライターたちが放心を装い、目を閉じて傑作を書こうとして、自信たっぷりの錯乱状態で、天井に向かって放り投げた文字が、一篇の詩となってゆかに落ちてくるのを待っている間に、わがエドガー・ポーは――私が知る限り、もっとも霊感に富んだ人物のうちの一人は――天才をことさら隠し、冷徹と勤勉をことさら装うのである。「自慢してもいいと思うが」と、彼は決して悪趣味ではない、愉快な誇らしさをもって述べる。「私の詩は、その一点たりとも偶然にゆだねられず、数学の問題を解くがごとき正確さと厳密なロジックをもって、完成へと一歩ずつ進んでいったのである」このような細部への配慮蹴躓けつまずくのは偶然の愛好者、霊感の信奉者、無韻詩の狂信者だけであろう。芸術に細部など存在しない。

抒情詩の世界に新機軸を打ち出す

無韻詩について言えば、ポーは脚韻に極度の重要性を附しており、精神が脚韻から得る数学的かつ音楽的快感について分析しながら、彼はそこに、他のあらゆる詩的技巧メチエを分析した際と同様の、繊細と精妙とを導入するのだった。彼はリフレインと呼ばれる詩的手法が、無限に多様化された適用に耐えると主張する一方で、脚韻による快感を活性化し、倍増させるにあたって、あの意外な要素――すなわち、あらゆる美における不可欠な薬味のごときものであるところの奇妙さを付加することを試みた。彼がとりわけ愛用した手法は同じ詩句、もしくは同じ詩行の反復で、同一詩句の執拗な繰り返しによって癒やされない悲しみ、または固定観念イデ・フィクセによる憑依オブセッションを表現したり――シンプルな同じリフレインを、いくつかの違う場面に持ち込んだり――少しずつ違うリフレインで倦怠や錯乱を誘発したり――二重化、あるいは三重化された脚韻によって、中世のレオニウス韻の効果を、さらなる正確さと、より明確な意図をもって、現代詩へと導入するがごとき韻の踏み方を試みた。

アメリカ本国におけるポーの詩の評価

これらの詩的手法の価値は、言うまでもなく、実地に適用されてこそ証明される。そうしてかくも熟考され、かくも凝縮された詩を翻訳することは、甘美な夢ではあっても、夢に過ぎない。ポーが遺した詩は少ない。彼は時として、このもっとも高貴なものと思われた仕事について、もっとしばしば、もっとひたすら、没頭できなかった無念を表明した。それでも彼の詩は強烈な効果を有している。それはあのバイロンの情熱の吐露とは違う。それはまたポーがほとんど兄弟のような讃嘆の念を寄せていた詩人テニスンの、優しく、音楽的な、卓絶した憂愁メランコリーとも違うのだ。ポーの詩とは、奥が深くて夢のごとく燦然とした、ミステリアスにして水晶のごとく十全なる何物かである。付け加えるまでもないと思うが、アメリカの批評家たちは、ポーの詩をしばしば酷評した。つい最近も、アメリカの人名辞典の中に、私はある記事を見つけたのだが、そこではポーの詩は異端と断定されていた。そうしてこの巧みにお化粧を凝らした詩女神ミューズは、残念ながら、このアメリカという有益なる道徳の光り輝く国においては、遂に一派をなすことはないであろう――結論として、ポーがその才能を道徳的真実の表現に適用せず、奇怪な理想を追い求め、謎めいた、官能的悦楽の詩をいたずらに産み出すことに費やしたのは惜しむべきことである、とされていた*7
われわれフランス人は、この公明正大なる斬り捨て御免をよく知っている。阿呆な批評家が善良なる詩人をやっつける図は万国において共通に見られる。この記事を読みながら、私は何だか、パリの批評家たちが、わが国のもっとも完璧を好む詩人たちに対して提起した、おびただしい告発文書のうちの一つの英訳を読んでいるような気がした。とはいえ私が以下に述べるところは、詩を愛する人々なら容易に察しが付くであろうし、純粋詩に魅せられたあらゆる魂は了承してくれることであろう。すなわち、このフランスという反詩的アンチ・ポエティークな風土においては、ヴィクトル・ユーゴーその人でさえ、もし完璧であったならば、あれほど賞讃されることはなかったであろう――彼の天才が認められたのは、もっぱらエドガー・ポーが現代における詩的邪道の元凶と考えたもの、すなわち説教というものを、自分の詩の中に強引かつ暴力的に持ち込んだからなのだ、と。

*1:訳者注:ホラティウス『書簡集』第二巻、102節。

*2:訳者注:このパラグラフは、エドガー・アラン・ポーが『グラハムズ・マガジン』1849年5月号および6月号に発表した警句集「50のヒント(Fifty Suggestions)」のうちの一節の、ボードレールによる仏訳。

*3:訳者注:エドガー・アラン・ポーの本業は批評家で、辛辣な批評で鳴らしておりました。

*4:訳者注:拙訳をご参照ください。

*5:訳者注:ボードレールの詩「自分自身の断罪者」第14行乃至第15行参照。

*6:訳者注:エドガー・アラン・ポー「詩作の哲学(The Philosophy of Composition, 1846)」。拙訳をご参照ください。

*7:訳者注:ここでボードレールが指摘している通り、少なくとも20世紀の前半までは、ポーの詩に対する英米人の評価というのは本当にひどいもので、たとえば彼の重層化した韻の踏み方について「十本の指に全部指輪をはめているみたいだ」などと、まったく意味不明の罵詈雑言を投げつけるばかりでした。少し風向きが変わってきたような気がするのは20世紀も末になってからで、ポーの詩は、英米においては、いまだ再評価の途上にあるというのが実情だろうと思われます。

(抄訳)ボードレール「エドガー・ポーに関する新しい覚え書」(2/3)

クロード=ノエル・テブナン(Claude-Noël Thévenin)「アベイ刑務所にて、父ジャック・カゾットの助命を嘆願する娘エリザベート・カゾット」ウィキメディア・コモンズより。

なぜなら彼は決してだまされなかったからだ。この民主主義の氾濫のさなかに、泰然として「人民は、法に従う以外、法と関わるべきではない」*1と書いたヴァージニア人*2が、近代の英知なんぞの犠牲者だったとは、とても思えない。――またいわく「大衆の鼻、それはその想像力だ。これさえつかめば、いつでも簡単に引きずり回すことができる」*3――その他、百にも及ぶ、集中砲火のごとく間断なく、それでいて無頓着かつ高飛車に、揶揄やゆ嘲笑を雨と降らせる寸言の数々*4。――たとえばかつて、あの純真な幻視家イリュミネたちが、『恋する悪魔』の著者のうちに、自分たちの秘教の指導者の姿を認めたごとく*5スウェーデンボルグ派の人々は、『催眠術の啓示』*6を読んで、これを物した人物を褒めちぎった。彼らは、ポーが公表した偉大な真理について、ポーに感謝した。なぜなら彼ら(検証できない事柄を検証する人たち)は、ポーがそこに記した一部始終が、紛れもない事実であることを発見したからである。「もっとも」とこの善良な人たちは言うのだった。「初めのうちは、ただの作り話ではないかと疑っていたのですが」するとポーは答えた「もちろん、作り話さ」と*7。――ポーの精神ののぞき部屋とも言うべき、この愉快な「マージナリア」を百遍も読み返しながら、別の短い一節を、ここに引用する必要があるだろうか。いわく「知識のあらゆる分野における書物の激増は、現代における最大の災厄のうちの一つである。なぜなら、それは確実な知識を獲得する上で、きわめて深刻な障害となるからだ」*8――家柄よりも天性によるこの貴族、このヴァージニア人、この南部の男、この暗黒街に迷い込んだバイロンは、その哲学的平静を常に失わなかった。愚民の鼻を云々うんぬんしようが、インチキ宗教の信者たちを虚仮こけにしようが、図書館を愚弄しようが、彼は常に真の詩人の態度を崩さなかった。――すなわち、附和雷同することを潔しとせず、西の夕空に花火が上がれば東へと走り去るがごとき、人目をあざむく奇抜な真理、外見上はまったくの非常識パラドックスであり続けた。
だがもっと大事な点がある。この思い上がった世紀の落とし子、それも他のどの国よりも輪をかけて思い上がった国の落とし子が、人間の生まれながらの邪悪さについて、これを明確に認識し、平然と断言したのである。ポーいわく、人間の内部には、現代哲学が認知しようとしないある謎めいた力がひそんでいる。だがこの名もない力、この根源的な傾向を想定しなければ、人間の多くの行為が説明のつかないまま、不可解なまま、残されてしまうだろう。それらの行為はただ邪悪だからこそ、危険だからこそ、魅力的なのだ。それは深淵のごとく人を魅了する。この原始的であらがい難い力こそ、人が持って生まれた倒錯性なのであって、それは人を絶え間なく、時を同じくして、自殺者に、他殺者に、暗殺者に、処刑者に変える。――「なぜなら」とポーはほとんどサタニックな狡猾さをもって付け加える。「ある種の邪悪にして危険な行為は、理にかなった動機が絶対に発見できないところから、これらは悪魔指嗾しそうの結果と見ていいだろう――もしがしばしば、これらの行為から、悪人の懲罰と社会秩序の確立とを導き出したもうことを、歴史と経験が示していなければ」*9――当の悪人どもを共犯者として利用して!これは隠微にして必然の含意として、私の頭に浮かぶものだ。とはいえ私としては、今のところ、この人間が持つ根源的な倒錯性を、忘れられていた偉大な真理と見なしたいのであり、古代の知恵の漂流物エパーヴが、意外な国からわれわれのもとへと帰ってきたことに、ある種の満足感を覚えずにはいられない。あらゆる人間性ユマニテ阿諛者あゆしゃたち、甘言者たち、「私は善良に生まれついた、あなたもそうだ、われわれは皆生まれながらにして善人なのだ!」などと、可能な限りあらゆるトーンで復唱するあらゆるペテン師たちの顔面に向かって、このような昔ながらの真理を炸裂させてやるのは痛快である。この勘違いした平等主義者たちは忘れている、いや忘れたふりをしているのだ、われわれが皆、生まれながらにして悪の烙印をされている事実を!

*1:訳者注:この言葉、ポーのいわゆる「名言」の一つとして、今でもネット上で流布している言葉ですが、正確な出典は確認できませんでした。ただ、ソクラテス以降、同じようなことを言っている人はたくさんいるみたいです。

*2:訳者注:ポーの出身はマサチューセッツ州ボストンですが、短い生涯のうちの比較的恵まれた期間を、ヴァージニア州リッチモンドで過ごしたため、本人は「ヴァージニア人」を自称しておりました。

*3:訳者注:エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版No.226

*4:訳者注:ポーは1844年から最晩年にかけて「マージナリア」(「欄外注」の意)というタイトルのもとに、短いエッセイをあちこちの雑誌に売り飛ばしておりました。バートン・ラルフ・ポリンという人が1985年にまとめたものによると、その総数は300を超えるようです。ボードレールはおそらくポーの死後、ルーファス・グリスウォルドがまとめたものを『故エドガー・アラン・ポー作品集』第三巻(1850年)で読んだのだろうと思われます。

*5:訳者注:名高いゴシック・ファンタジー『恋する悪魔(Le Diable amoureux, 1772)』の著者ジャック・カゾットは、一時期マルティニストなる神秘主義者たちに勧誘され、その活動に参加していたことがあるそうです。

*6:訳者注:「催眠術の啓示(Mesmeric Revelation, 1844)」はポーの短編小説。

*7:訳者注:「スウェーデンボルグ派の人たちが手紙で知らせてくれたところによると、私が『催眠術の啓示』という雑誌記事に書いたことは、すべて事実なのだそうだ。もっとも彼らはその信憑性を、初めのうちは強く疑っていたらしい。私に言わせれば、疑うのが当たり前で、あれは徹頭徹尾、純然たるフィクションなのである」(エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版No.130)

*8:訳者注:エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版補遺No.6。原文は「知識のあらゆる分野における書物の激増は、現代における最大の害悪のうちの一つである。なぜなら、それは読者の行く手にガラクタの山を投げ出すので、それで読者は偶然が散在させた有益な知識の断片を手探りで探さなければならず、結果として、正確な情報を獲得する上で、きわめて深刻な障害を顕在化させるからだ」

*9:訳者注:エドガー・アラン・ポーの短編「倒錯の悪魔(The Imp of the Perverse, 1845)」の中にある言葉。こちらの記事をご参照ください。