魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ザ・ウォーニングの「ディサイプル」

BAND-MAIDとザ・ウォーニングの「対バン公演」のポスター。BAND-MAIDの公式HPより。

「夢の共演」どころではない?

ザ・ウォーニングは日本ではまだほとんど知られておりません。来日自体は大々的に報じられてはいるものの、「メキシコの人気バンド」というだけで、その作風とか人気の秘密とかに関する記事は、日本ではまだほとんど見当たりませんね。とはいえ彼女たちは海外では熱心なファンに恵まれており、またそのファンたちの頭の中では、前にも書いた通り、BAND-MAIDのイメージとセットになっていることが多い。
そんなファンたちの間でちょっとした騒ぎになったのが、先日のザ・ウォーニングの行動です。私が前回の記事を書いた6月初めごろ、彼女たちは東京にひょっこり現れて、しかもその後まもなくBAND-MAIDと合流したことが明らかになった。あたかも彼女たちは自発的にコラボしているように見える。どうなってんの?何が始まろうとしているのだ?確かに単なる「ごあいさつ」にしては念が入りすぎているようで、ひょっとするとコラボ曲の制作などの魂胆があるのかも知れません。ただの「夢の共演」では済まないかも知れませんね。

自己嫌悪の塊か?

ザ・ウォーニングの曲の歌詞について、すでに何度か書いていますが、もう少し書いておこうと思います。やはりここを押さえておかないと、彼女たちの曲のドラマティックな構成が理解できないと思う。
K-POPの影響だか何だか知りませんが、日本人は「ガールズバンド」と聞くと、すぐに「アイドルグループ」みたいなものを思い浮かべる。ちなみにこの「ガールズバンド」なる言葉は差別用語だと思っている人もいるかも知れないが、いつだったかSCANDALのインタビュー記事を読んでいて、その中でメンバーの一人が「私たちはずっと『ガールズバンド』として頑張ってきたし、『ガールズバンド』と呼ばれることに誇りを持っている」と言っているのを読んで「なるほど」と思ったので、この記事でも「ガールズバンド」で通します。
で、この「ザ・ウォーニング」というメキシコの三人組の「ガールズバンド」ですが、もろもろの動画を見ればおわかりの通り、三人とも若いし、美人だし、パフォーマンスなど元気いっぱいで、ボケーと見ている分には微笑ましい限りですが、ひとたびその歌詞に耳を傾けてみれば、驚くほどネガティヴでペシミスティックで悲劇的で、「何じゃコイツらは?自己嫌悪の塊か?」とアゼンとさせられるのです。この見てくれと中身のギャップというかコントラストは、まさにトラウマ級で、何か悪い夢でも見ている気がするくらいです。
Lyrics Layersというサイトから、ザ・ウォーニングの歌詞に関する文を以下に引用しておきます。たぶんAIが書いたものでしょうが、ご参考までに。

ザ・ウォーニングの歌詞は、激しい感情体験を掘り下げることが多い。人間関係における裏切り、心の傷に負けまいとする苦しみ、復讐への欲望などのテーマを探求している。また彼女たちの曲は、内なる悪魔との戦いや深い孤独感にも触れており、同じような苦境に直面する多くのリスナーたちの共感を呼んでいる。

「ディサイプル」の歌詞

これまでにご紹介してきた「チョーク(Choke)」も「エヴォルヴ(Evolve)」も、ザ・ウォーニングの代表的なナンバーですし、前回ご紹介した「オートマティック・サン(Automatic Sun)」もまた、新曲ではありますが、彼女たちの代表作の一つとなりつつある。もう一つ、下の「ディサイプル(Desciple)」という曲も、いかにも彼女たちらしい華やかなナンバーなので、ご紹介しておきましょう。これもおそらく来日公演で披露されると思います。歌詞はこんな感じ。のっけからして物騒です。

太陽は君の敵だ
世界はまだ終わらないと知っているか?
それは新しく始まるのだ
だが不信心者どもはまだ気づかないふりをしている

太陽は君の敵だ
君は自分の悪徳から目をそむけたがる
むしろ悪徳を受け入れたまえ
そして新しい時代の危機に身をさらすのだ

おお 待ちに待った時が来た
おお 修行中の門下生ディサイプル

(コーラス)
体制システムをぶっ壊せ!
あの男を殺せ!
彼らの手から権力を剥奪せよ!
スクリーンを見つめる君の目は
よろこびのあまり血を流すことだろう

君は出てはならない
その空間の内部から――

太陽は私の敵だ
明日が無いかのような惨めさはもうたくさんだ
皆で共有シェアしよう
この人生が余生ではないことを示すのだ

おお 待ちに待った時が来た
おお 修行中の門下生ディサイプル

(コーラス くりかえし)

君は出てはならない
その空間の内部から――

君はわらにもすがる思いで
という言い訳を当てにしている
太陽が消えた世界では
憎しみこそが常に良き友となることだろう

おお わが声を聴け
おお 不信心者どもが逃げて行く
おお 待ちに待った時が来たのだ
おお 修行中の門下生ディサイプル

(コーラス くりかえし)

君はとどまるがいい
無知の空間の内部に!


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ザ・ウォーニングの「ナルシシスタ」

ザ・ウォーニングの魅力は「ギャップ」

周知の通り、メキシコの三人組ガールズバンド「ザ・ウォーニング(The Warning)」は今年(2024年)6月、初めてのアジアツアーの途中に日本にも立ち寄ることが決まって、われらがBAND-MAIDとの共演も予定されている。ちょうどこれに合わせる形で彼女たちの通算4枚目のアルバム『キープ・ミー・フェッド(Keep Me Fed)』が6月28日にリリースされるのですが、これは「リパブリック・レコード」という、前作3枚目の「ラヴァ・レコード」の上位レーベルから発売されるので、これまで日本では入手困難とされてきた彼女たちのCD(物理メディア)も、これによって初めてアマゾンなどで容易に入手できるようになるらしい。これで彼女たちは日本でも「売れる」お膳立てができたわけです。
下はそのニューアルバムのトラックリスト。

1. シックス・フィート・ディープ
2. シック
3. アポロジャイズ
4. クエ・マス・キエールズ
5. モア
6. エスケイピズム
7. サティスファイド
8. バーンアウト
9. シャークス
10. ヘル・ユー・コール・ア・ドリーム
11. コンシューム
12. オートマティック・サン

ザ・ウォーニングの演奏力についてはもう何も申し上げますまい。音を聴けば誰にでもわかることですから。ここで再度注意したいのは、彼女たちの曲の歌詞です。彼女たちの痛烈な歌詞の世界は、一部のヘビメタファンを除いて、日本人には免疫がないのではないかと思われる。このブログでは既に彼女たちの曲をいくつかご紹介してきましたが、たとえばこちらの記事こちらの記事でご紹介した「チョーク(Choke)」という曲の歌詞、はたまたこちらの記事の「エヴォルヴ(Evolve)」という曲の歌詞は、すでに指摘したように、自殺願望を表現している。それも半端なものではありません。

私が作り物のキャラクター以上の
何者かになるのを手伝って!
死の苦痛は生き残るための
進化するための代償!
(「エヴォルヴ」のリフレイン)

下は彼女たちのニューアルバムから先行配信されている曲のうちの一曲、「オートマティック・サン(Automatic Sun)」。


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これは恋愛中毒の歌ですね。恋人のアメとムチとによって支配され、身も心もボロボロにされてしまった女の子の歌です。

もしあなたが帰ってきてくれたとしたら
鏡のように 私の想いを映してくれるかしら
ああ あなたは私の手の届かないところにいる

もっともっといじめてちょうだい
この依存症は治療困難
すべて欲しいなら すべて奪って
だって私はあなたのものだから あなたのものだから!

(コーラス)
非情の太陽を燃やして
壊れてゆく私を見て
心をむしばむ愛をちょうだい
狂ってゆく私を見て

ザ・ウォーニングのビデオ、特にライブ映像を見ていていつも思うことは、彼女たちのステージの華やかさと、歌詞の内容の絶望的な悲惨さとの間の凄まじいギャップです。このギャップが彼女たちの音楽に、他の追随を許さない魅力を与えていることに疑いの余地はありません。他にも、上のトラックリスト中の「ヘル・ユー・コール・ア・ドリーム(Hell You Call a Dream)」という曲は、実際にスターの座をつかんだ者の苦悩を歌ったもので、「みんながあこがれているものは、実は地獄に過ぎない」と訴える。聴く方はギョッとさせられます。

「ナルシシスタ」の歌詞

ちなみにザ・ウォーニングのメンバーは自分たちの曲作りに非常に強いこだわりを持っており、十代の早い時期から注目を集めていたにもかかわらず、メジャーデビューが遅れた(ザ・ウォーニングは去年結成10周年を迎えた)のは、彼女たちをコントロールしようとするプロデューサーたちと、書きたい曲を書いて、りたいようにりたいとする彼女たちとの間でなかなか折り合いがつかなかったからだそうです。最後に現れたのが上の「ラヴァ・レコード」のプロデューサーで、彼女たちの「表現の自由」を最大限保証してくれたとか。
それはともかく、今日は下の「ナルシシスタ(Narcisista)」という曲の話をしたかったのです。ちなみにこのビデオでは、いつもはドラムを叩いている女の子がメインヴォーカルを務めている。


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この曲の歌詞はスペイン語で書かれている。ザ・ウォーニングにはこのようにスペイン語の歌もあるが、英語の歌の方が多い。それで私がいつも感心するのは、彼女たちは日常会話ではスペイン語を使っているらしいにもかかわらず、英語で上手に詩を書くという点です。上にも例を挙げた通り、ザ・ウォーニングの歌詞は結構センシティヴで、英語表現の機微に通じていないと書けません。ただ何度も言うように、日本人はこの真似をしない方がよい。日本人は日本語で歌えばよろしい。
この「ナルシシスタ」の歌詞はこんな感じ(英訳からの重訳)。

どうすればいいのか知らない
猫をかぶる意味もない
もう頑張らない
私は知っているから
皆が陰口をたたいていることを
あんたたちは顔に好意を浮かべて現れる
私がだまされると思わないで

あんたたちは何もわかっていない
あんたたちは言いふらす 決して黙らない
私は耳をふさいで こう言うだけ

(コーラス)
ナ・ナ・ナ
私をリストに入れるな
私は狂人ではない マリンチスタでもない
ナ・ナ・ナ
彼らは私をうぬぼれていると言う
私をナルシスト呼ばわりする

メンバー自身のコメントによれば、この歌は「英語で歌うメキシコ人」というメキシコ国内のリスナーたちからの批判に応えて書かれた。この歌詞のキーワードは「マリンチスタ」という言葉で、これはメキシコ建国史に登場するある人物に由来する言葉で、平たく言うと売国奴というニュアンスの言葉らしい。ただ英語で歌っているというだけで「売国奴」呼ばわりされるには深いわけがある。
英語版ウィキペディア「マリンチズム(malinchism)」の項によると、メキシコは隣国アメリカの強い影響下にあるが故に、自国の文化、思想、行動、ライフスタイルについて深い劣等感に悩まされており、特に上流階級人ほど国産のものよりもアメリカ産のものを好む傾向があるという。こうした傾向に対する民族主義的な反発が、この「マリンチスタ」という言葉にこめられているらしい。ちなみにメキシコではほとんどの地方で英語が第一外国語として教育されているにもかかわらず、英語に堪能な人は全人口の5パーセント程度にとどまるという。この5パーセントという数字は、しかし、日本に比べればはるかに多いと感じますね。
どこの国でもいろいろ問題があるんだナーと、考えさせられます。もしこの5パーセントの英語のできる人たちが特権階級に限られるとすれば、一般国民の不満の矛先は、無論、この人たちに向かうでしょう。ザ・ウォーニングはこれに対して「私たちは生粋のメキシコ人だ」と反論しているわけです。
これを日本に置き換えるとどうなるか。日本人のアメリカに対する劣等感も相当なものですからねえ。いわゆるグローバリゼーションの波の中で、日本も英語を公用語に採用すべきだと考えている日本人は、おそらく相当な割合にのぼるのではないでしょうか。「私は日本人だ」と胸を張って言い切れる日本人は、もはや少数派なのかも知れませんね。

*上の文中、ザ・ウォーニングのメンバーのコメント等のソースはskyp2tさんのブログに拠っております。ご参照ください。

Keep Me Fed

Keep Me Fed

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ふたたびBAND-MAIDの「HATE?」の歌詞

これも2023年5月のデトロイト公演から。ウィキメディア・コモンズより。

世にリアクション動画ほどくだらないものはないと、常々思っております。他人様ひとさまが作ったミュージックビデオを流して、横で「アア!!」とか「オオ!!」とか言って、ハイ出来上がり。こんな安直なもん、俺にでも作れるわ!!!(よう作りませんが)それでYouTubeの「おすすめ動画」で表示されても、リアクション動画は滅多に見ないのですが、BAND-MAIDのリアクション動画だけは好んで見ます。BAND-MAIDの動画を流しながら、横でリアクターたちが「アア!!」とか「オオ!!」とか言っているのを見るのが愉快でたまらないのです。先日、ようやく(というか、「満を持して」というべきか)BAND-MAID「HATE?」という曲の公式ライブビデオが公開されたので、私は冬眠から叩き起こされた形で、またぞろリアクション動画をあさっておりました。
BAND-MAIDを知らない方のために、少し紹介しておきましょう。BAND-MAIDは日本の5人組ガールズバンドで、5人のうちの2~3人(?)がメイド服(メイド喫茶の店員が着ているような)を着て「お給仕」(=ライブ演奏)をするところから「BAND-MAID」の名があるわけですが、ために日本では何か特殊な性的嗜好(?)を持った人たちに支持されているバンドだという偏見があるようで、さような偏見にとらわれない海外の人々にむしろ熱心なファンが多い。音を聞けばわかりますが、このBAND-MAIDは非常に高度な演奏技術を誇る、本格的なロックバンドで、古き良き時代のハードロックの伝統を受け継いでいる。それもただ単に形式的に受け継いでいるだけでなく、これに新しい価値を賦与しております。
下がその「HATE?」の動画ですが。


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だいたい公式ライブビデオなどと申すものは(BAND-MAIDのに限らず)視点が切り替わるのが早すぎて、めまいがする感じで、ファンカムの方がむしろ臨場感があるように思うものですが、このビデオは曲のテンポに合っているせいか、見ていてそれほど苦痛を感じません。曲中、ベースのソロに合わせてリードギターの女の子の踊る姿がとても可愛い。
この「HATE?」という曲の歌詞については前にも書いたことがあります(こちらの記事)。これはわれわれ男性にとっては大変「耳が痛い」内容のものです。これについて、リアクション動画につけられた英語のコメントの中に「この歌詞は彩姫(メインヴォーカルの女の子)の親しい女友だちが彼氏に浮気されて、それに憤慨した彩姫が書いた」というのがあって、その情報はどこから来たものかと少し調べてみたところ、どうも日本語のインタビュー記事*1の英訳があいまいで、誤読されたもののようでした。このメインヴォーカルの女の子は「近頃有名人の不倫報道が(日本では)多いが、そのたびに女を裏切る男は許せないと思う」と言ったわけです。もっともこの歌詞の内容は、世の男性一般に対する怒りというよりは、やはり何か個人的体験に基づくもののような気がしますが。

私を使って満たす自己顕示欲…

このフレーズの字幕での英訳、

Just using me to make you feel you have meaning. 

これはなかなかの名訳ですね。薄っぺらで、中身のない彼氏の胸に、グサリと突き刺さる言葉のナイフです。その次の、

10分そこらのショボい運動…

というのも、ギョッとさせられるセリフですが、さらにその次の、

たーいしたこともないのに!!!
たーいそうに!!!

まー、このクッソ憎たらしいイントネーションはどうでしょうか?しかもセカンドヴォーカルのコーラス付きです。海外のリスナーには、この辛辣さはなかなか想像がつかないだろうと思います。それだけ血の通った日本語でもあるわけです。

あーあーバカみたいだ!!!

繰り返しになりますが、BAND-MAIDの音楽は、ハードロックの王道を行くのみならず、これに新しい息吹きを吹き込むものです。チャラチャラしたステージ衣装とはうらはらに、そこには何かしら技術以上の「ピュアなソウルのごときものが、演奏にも感じられるし、歌詞にも感じられる。これまた私の大好きな「Warning!」という曲の歌詞に、

エラそうに もったいぶって
「愛」とか歌わないで!!!

とある通り、この「HATE?」はそこらのラブソングよりも、もっとまっすぐに「愛」を伝えてくれます。

松任谷由実の「春よ、来い」


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今の時代、「うっせー、うっせー、うっせーわー!!」みたいな歌詞が書ける自称「天才」は、おそらく日本中に掃いて捨てるほどいるのでしょうが、上の「春よ、来い」のように格調高い歌詞が書ける人は、もうほとんどいないのでしょうね。口語体の中に文語体をないまぜにした、およそ奇妙な形式ですが、それでいてきわめて正確に、ほとんど外すことなく、われわれ日本人の心の急所を突いてきます。特にこの二番の歌詞、

君に預けしわが心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと 待っています…

何という美しい日本語でしょう。少し分析的に言うと、この「月日」という単語は、他の単語に置き換えることが絶対にできない。その次の行の「ずっと、ずっと」という、何か急に言葉に詰まったかのような繰り返しも、聴く者の胸にじかに響き、涙を誘います。
ただ私が考えてしまうのは、こーゆー純日本的としか言いようのない歌の魅力は、外国人には理解してもらえないだろうな、ということですね。たくさん言葉を積み重ねて「説明」することはできるかも知れないが、耳に入るなり激しくわれわれを動揺させ、涙腺を崩壊させる、この感じはネイティヴの日本語話者にしかわからないでしょう。たとえばこの歌の中に、

まなざしが肩を抱く…

というフレーズがありますが、われわれはこれを耳にしただけで、肩のあたりに何かぬくもりを感じる気がするものですが、これを翻訳するのは難しい。今ちょっとGoogle翻訳で自動英訳してみますと、

Your gaze embraces my shoulders.

となるようですが、これでは何のことやらわかりませんね。
下は英語によるカバー。ヘイリー・ウェステンラさんのカバーも聴きましたが、ヘイリーさんのは「春よ、来い」というより「春が来た」で、春を迎えるよろこびに満ちた歌で、原曲の、絶望のどん底で一縷の夢にすがっているかのような雰囲気とはまるで違います。下のレベッカさんのカバーの方が原曲に近い。


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ちなみに松任谷由実の楽曲で個人的に一番好きなのは、荒井由実時代の「ベルベット・イースター」という曲です。少女の感性というものをこれほど鮮烈に印象づけた楽曲を、他に知りません。


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「Netflix版『アッシャー家の崩壊』はポーを讃えることに失敗した」

ナポレオン・アッシャー(ラフル・コーリ、手前)と恋人のジュリアス(ダニエル・ジュン)。www.imdb.comより。

以下は去る2023年10月27日、Ahmed Honeiniとおっしゃるイギリスのアメリカ文学研究者の方が「The Conversation」というサイト上に発表した「Netflix版『アッシャー家の崩壊』:ポーを讃えることに失敗した脈絡のない言及のごちゃまぜ(Netflix’s The Fall of the House of Usher: an incoherent mess of references that fails to honour Edgar Allan Poe)」という英文記事の全訳です。例によって元記事を書いた人には無断で訳しますので、前触れなく削除する場合があります。ポーを読む方の参考になれば幸いです。

theconversation.com

 

 

Netflix版『アッシャー家の崩壊』は原作の質を損なっている

以下の記事はネタバレを含みます。

エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」(1839年)はアメリカ文学史上もっとも有名な短編小説の一つである。疾病しっぺい精神疾患および早まった埋葬を主題とするアッシャー兄妹、すなわちロデリックとマデラインの破滅の物語は、多くの世代にわたる読者を震え上がらせてきた。
ポーの小説はこのたび、同名の新しいNetflixシリーズに着想を与えた。『アッシャー家の崩壊』は8話から成るアンソロジー・シリーズで、監督のマイク・フラナガンは同じくNetflixで配信された『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』(2018年)や『ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー』(2020年)も手掛けている。
フラナガンはこのホラーというジャンルについて明らかに造詣が深く、今日この産業におけるトップクラスの創造的人物マインドの一人という実証された評判を得ている。この新シリーズは、ポーの作品を現代の視聴者たちに紹介するための理想的な販路アウトレットとなるはずであった。
『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』や『ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー』に見られる通り、原作を翻案する上でこれに大幅に手を加えることは、それ自体は何も悪いことではない。だが『アッシャー家の崩壊』はポーからの引用を編み直し、貼り合わせ、混ぜ合わせているために、効果が混乱している。
このように新味のない引用はあまりに頻繁なので、結果としてショーは支離滅裂で、今なお読者にショックと、恐怖と、魅惑をもたらすポーの作品の質をはなはだしく損なっている。

的外れの言及に終始

このシリーズは、アッシャー家が富と名声をかけたファウスト的な契約を、謎の女性ヴェルナ(「Verna」は「Raven」の陳腐なアナグラム)と結んだのち、急速に崩壊する様子を描いたものである。ポーへの言及は、初めのうちは当て物として楽しめるが、すぐに退屈で耐えられないものとなる。
たとえばアッシャー家の子供たちの名前、フレデリックやタマレーンやヴィクトリーヌやカミーユやナポレオンやプロスペロは、ポーの「メッツェンガーシュタイン」や「早まった埋葬」や「タマレーン」や「モルグ街」や「眼鏡」や「赤い死の仮面」といった詩や短編から採られている。ただ採られているというだけで、これらの言及にはほとんど何の関連性もない。
こうした薄っぺらさはこのショーにおけるロデリック・アッシャーの描写に輪をかけて認められる。彼は詩人になりたいという若いころの夢を繰り返し思い出す。無数の場面において、彼は自分が書いたことになっているポーの「アナベル・リー」や「大鴉」等、その他数限りないポーの詩からの引用を、長々と暗唱する。
私に推測できるのは、このショーの作者はこうした引用によって、ロデリックをその冷酷で助平な本性にかかわらず、なおかつわれわれの同情に値する、繊細で、心乱れた、悲しい男に見せかけたいのではないかということだけだ。私はこのシリーズに出てくる人間に何のシンパシーも感じない。
特に第一話「物寂しい真夜中に」、第六話「ゴールドバグ」、第八話「大鴉」は大失敗だ。これらは資本主義的搾取に対する鋭い批判というショーのテーマに合わせるために、「ウィリアム・ウィルソン」や表題作「アッシャー家の崩壊」のようなポーの短編を歪め、ねじ曲げている。
これらのエピソードは、アッシャー家をロックフェラーやトランプやサックラー等の悪名高き大富豪一族と比較することに懸命で、これに夢中になるあまり、ポーの原作のエッセンスが最良の場合でも破壊され、最悪の場合には完全に失われても止むなしとしている。

二つのエピソードが救い

ポーの作品を成功裡に利用していると思われるのは第四話「黒猫」と第五話「告げ口心臓」だけだ。この二つのエピソードは、ナポレオンとヴィクトリーヌという二人のアッシャーたちについて、その精神的崩壊と変死を軸として展開する点で共通している。ポーの原作同様、ナポレオンもヴィクトリーヌも、みずからの過ちに心を病む。ナポレオンはあやまって殺してしまった猫の代わりに手に入れたそっくりの猫に責め立てられる。この化け猫によって狂気へと駆り立てられた彼は、破壊的な乱行に及んだ挙句、自死を遂げる。ヴィクトリーヌは通常の医療研究の手順プロシージャからの逸脱バイパスを試みたのち、不断の心音に取り憑かれ、やはり自殺に追い込まれる。
いずれのエピソードもポーの原作に対して、罪と、憎悪と、暴力という中心的なテーマを維持している点で忠実だ。これらは人々が人間にも動物にも感じるかも知れない恐怖心に訴えかける。

ヴィクトリーヌ・ラフルカード(タニア・ミラー、右)と恋人のアレッサンドラ・ルイーズ医師(パオラ・ヌニェス)。www.imdb.comより。

ナポレオン役のラフル・コーリ、およびヴィクトリーヌ役のタニア・ミラーの卓越した演技は、原作のうちに大書たいしょされているホラーと、パラノイアと、フレンジーの感覚を巧みに捉えている。とりわけ注目すべきは、この二つのエピソードが、ポーの作品からの引用を採掘することにさほど執着せず、何よりも魅惑的な映像を創り出すことに専念している点である。
もしこの『アッシャー家の崩壊』が何か有益な目的に資するとすれば、それはポーの作品を新しい世代の読者に発見させることだ。Netflixは、有難いことに、視聴者に対してカンニングペーパーを配布することで、無数の引用がポーのどの作品に依拠するものなのかを教示してくれている。

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とはいえ、私はこれらの若い読者が、もっぱらポーの美点にアプローチすることを切に望む。ポーの中にこのシリーズに見られるような歪曲や冒涜を見出そうとしてほしくない。このシリーズは、その可能性を裏切って、権力や強欲に関する表面的で凡庸なストーリーを語るために、ポーの驚異と恐怖とを犠牲にしている。


上のレビューには2023年11月11日現在、2件の批判的なコメントが寄せられていて、下はそのうちの一つ。

この記事は評者がポーについても、フラナガンについても、創造的プロセスについても全く無知であることを示している(ポーは同時代の社会や強欲や不正や資本主義を批判していた)。このシリーズは傑作であり、脚本は絶妙を極めている。そうしていつものように、単なるホラーではなく、この評者にはさっぱりわからないらしい意味というものがこめられている。最後に、言い忘れるところだったが、私は歴史に無知な文学専門家にはもううんざりだ。