魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「旅(Le Voyage)」

ライト・バーカー(Wright Barker)「キルケ」。ウィキメディア・コモンズより。

悪の華』第二版(1861年)の掉尾とうびを飾る雄篇。この痛烈なペシミズムは今なお輝きを失わないどころか、現代においてこそ、よりいっそう輝きを増している気がいたします。原文はこちら


マクシム・デュ・カンに捧ぐ

I

銅版画やら地図やらを見るのが好きな子にとって
世界は彼の食欲と同じ程度に広大だ
夜のランプに照らされた世界の何と広いこと
なのに記憶の目に残る世界の何と狭いこと

ある朝 僕らは鹿島立かしまだつ 脳髄を炎上させて
苦渋に満ちた欲望と未練に胸を焦がしつつ
僕らは船を進ませる 波のリズムに身をまかせ
有限の海のゆりかごに 無限の夢をあやさせて

悪名あくみょう高い祖国からさっさと逃げる人もいる
ふるさとだから去る人も また美女の目に魅せられた 
恋の占星術師たち*1 危険な香りを身にまとう
冷酷な魔女キルケから逃げようとする人もいる

魔法によって動物とされないうちに逃げ出して
ただ空間に 光明に 炎の空に酔い痴れる
肌に噛みつく氷雪が 肌身を焦がす太陽が
切ないキスの傷跡を 時間をかけて消してゆく

とはいえ真の旅人は ひとえに旅をするために
旅に出ようとする人だ 気球のごとく気も軽く
持って生まれた宿命をのがれるすべもない彼ら
わけもわからず四六時中言っているのだ「行こうぜ」と

その欲望は浮雲のかたちをまとうこの連中
新米兵しんまいへいが大砲を夢見るごとく 夢に見る
移ろいやまぬ 未知にして しかも偉大な快楽を
人間たちが今もなお呼び名を知らぬ快楽を

II

残念ながら僕たちは クルクル回る独楽こまのよう
ポンポン跳ねるまりのよう 睡眠中も僕たちを
なぶり いたぶり もてあそぶ「好奇心」とは 太陽を
発止発止と鞭で打つ非道きわまる「天使」のようだ

変なゲームだ このゲーム ゴールが絶えず動くのだ
ゴールは無いにかかわらず ゴールはどこにだってある
これに加わる「人間」は 断じて絶望しないから
安住の地を追い求め 狂ったように駆け回る

イカリア島を探す船 それが僕らの魂だ
甲板上で声が呼ぶ「そろそろ何か見えないか」
マストの上で 熱狂に駆られた声が絶叫する
「愛だ 名誉だ 幸福だ」やれやれ それは暗礁だ

見張りによって指呼された小さな島という島は
宿命さだめ」によってあらかじめ約束された「楽園」だ

歓喜の渦を巻き起こすこの素晴らしい「想像」が
朝の光に見るものは ただのつまらぬ岩礁

おお幻想シメールの国々に恋する不憫ふびんなる者よ
その錯覚ミラージュは海水をひとしおにがくするだけの
「新大陸」の発明者 この泥酔の船乗りは
鉄の鎖に縛りつけ 海に投げ込むべきなのか

この年老いた浮浪者ヴァガボン は 泥濘ぬかるみに足を取られつつ
大気に鼻をそばだてて 桃源郷を夢に見る
魅せられている彼の目は キャンドルの火の輝きが
陋屋ろうおくともるたび 花の都を発見する

III

たまげた旅のおじさんよ 海より深い君の目に
僕らは何と高潔な経歴を読むことだろう
星と霊気エーテルでできているその財宝の数々を
君の記憶の宝石箱を どうか僕らに見せてくれ

蒸気船にも帆船はんせんにも乗らずに旅がしたいのだ
どうか僕らの牢獄の闇に明かりをともすため
白紙のごとく広がった僕らの精神エスプリの上に
君の記憶を 水平線の額縁つきで 航海わたらせてくれ

お言いよ 君は何を見た?

IV

「われわれは星を見た
波を見 そして砂を見た
思いも寄らぬトラブルや多くのショックにかかわらず
この地においてと同様に われわれはよく退屈した

紫いろの海上にのぼる朝日の美しさ
沈む夕日に照らされるもろもろの都市の美々びびしさは
海に映って人を呼ぶ蒼天そらに身投げがしたいという
絶えることなき憧れを われらの胸に掻き立てた

もっとも富んだ街々も もっとも偉大な風景も
雲を使って『偶然』が作る影への 謎めいた
浮気心をどうしても抑えることができなくて
欲望は常にわれわれの心を動揺させていた

快楽が欲望を勢いづけてくれるのだ
快楽を肥料こやしに育つ年老いた樹よ 欲望よ
お前の樹皮がしなやかな性質たちを失うかたわらで
お前の枝は太陽をもっと間近に見んとする

糸杉よりも元気な樹 お前は常に伸びるのか――
とはいえごらん われわれが諸君の飢えたアルバム用に
心をこめて摘んできた この数葉の即興戯画クロッキー
遠くから来たものならば 何でもよろこぶ兄弟よ

われらは象の鼻を持つ巨神の像にお辞儀した
数え切れない宝石が光る玉座にお辞儀した
諸君の国の銀行が破産の夢を見るごとき
燦然と装飾された大宮殿にもお辞儀した

大聖院だいしょういん広島県宮島)の歓喜天かんぎてんガネーシャ)像。ウィキメディア・コモンズより。

人の目をうっとりさせるコスチュームにもお辞儀した
爪や歯をいろどり飾る女人にょにんたちにもお辞儀した
よろこびの蛇が這い寄る蛇使いにもお辞儀した」

V

それから? それから?

VI

「やれやれ 幼稚な脳髄よ

忘れぬうちに言っておく 探し求めるまでもなく
あらゆる国の国民の 上下あらゆる階層の 
いたるところでわれわれが目撃したのは他ならぬ
永遠の『罪』というものの愚劣な茶番だったのだ

女 すなわちゲスな下女 自惚うぬぼればかり強い馬鹿
自己崇拝も大真面目 自己を愛して嫌悪せず
男 すなわち暴君だ 助平にして粗野粗暴
女郎に奉仕する下郎 ドブを流れる泥水だ

大喜びの処刑人 涙にむせぶ殉教者
流血により絶妙に味つけされた大宴会
毒にあたった暴君を骨抜きにする権力病
自分自身を無能ばかと化す鞭に恋する愚民ども

われわれの宗教に似た 世のかずかずの宗教は
天をめざしてよじ登る 苦行に挑む聖者らは
虚弱な体質たちの人間が羽毛布団にくるまるごとく
針のむしろ馬毛うまげとこに 安眠を探し求める

おしゃべり好きな『人類』はその天才に酔っ払い
今も昔も変わらない乱痴気ぶりを発揮して
生きるつらさに耐え切れず 天に向かって泣き叫ぶ
『おお主よ 俺の同類よ 貴様こそ地獄に落ちろ』と

これより少しましな者 『狂気』をでる勇者らは
『運命』に翻弄される世の人々と手を切って
麻薬が魅せる広大な夢の世界へ逃避する
以上が世界各地から届く不変の速報ブレティンなのだ」

VII

にがい知識だ 旅人が旅からもらう教訓は
今日も明日も明後日も 退屈で狭い世界に
僕らが垣間見るものは 僕ら自身の影なのだ
倦怠アンニュイの砂漠で出会う それは恐怖のオアシスだ

つべきか とどまるべきか とどまれるならとどまるがよい
つより無くばつがよい 僕らの命を付け狙う
「時」という名の敵の目をあざむかんとて 僕たちは
走り あるいはうずくまる 中には絶えず駆け回り

さまようユダヤ人のよう または布教の使徒のよう
この忌まわしい網の目をかいくぐらんと 山を越え
海を越えてもまだ足りぬ連中もいる 一方で
揺籃ようらんの地を去らずして「時」を殺せる人もいる

「時」が僕らを蹴飛ばして 背を踏みつぶす日が来ても
絶望しない僕たちは なお叫ぶのだ「前進」と
かつて未知なる「中国」をめざしてった日のように
目をきらきらと輝かせ 髪をふさふさなびかせて

血気盛んな若者の頃と少しも変わりなく
僕らは闇に閉ざされた「冥府の海」へ船出する*2
お聞き あたかもあの世から聞こえるような 甘美なる
あの歌声を「さあおいで このかぐわしいロータス

実が欲しいなら 旅人よ あなたがつとに飢えていた
奇跡の果実 それはこの地の特産なのよ
おいでよ そして酔い痴れて この永遠とこしえに打ち続く
午後の時間の 理性では理解できない気持ちのよさに」*3

その打ち解けた物言いで 誰の声だかすぐわかる
両手を振って呼んでいる あれは僕らのピュラデスだ
「泳いで われはエレクトラ 心の傷を癒やします」
かつて僕らがその膝にキスしたひとの声が言う

「死」よ 年老いた船長よ 時間だ 船を出してくれ
この地にはもううんざりだ 「死」よ 他界へと出帆だ
黒いインクに海空かいくうは塗りつぶされていようとも
僕らの胸は 知る通り まばゆい光に満ちている

元気をくれる猛毒の波を僕らにぶっかけろ
その火によって脳髄を炎上させた僕たちは
「天国」だろうが「地獄」だろうが 底の底までちに
「未知」の奥地に 新しい何かを探し求めたい

*1:エドガー・アラン・ポーの短編小説「ライジーア」に「彼女の明るい双眸は、俺にとっては双子座の二恒星、俺はその観察に生涯を捧げた一介の占星術師となった」云々。

*2:エドガー・アラン・ポーの短編小説「エレオノーラ」に「彼らは『名状しがたい光』の大海へ、舵もコンパスも持たずに突入し、ヌビアの地理学者の冒険を再現するかのごとく、『そこに何があるかを見究めようとして、暗黒の海に入る』」云々。

*3:この数行についてはアルフレッド・テニスンの詩「ロータス・イーター」参照。

CARAMEL CANDiDの「ヘッドライト花火」

「夜の踏切」。photo-ac.comより。


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私の死んだ母が時折話してくれたのですが、彼女は若い頃、まだ幼い私と私の妹の手を引いて、ちょうどこのビデオに出てくる少女のように、電車の踏切の前に立ちつくしたことが何度かあったそうです。
今でも毎日のように「人身事故」で電車が止まりますね。そのたびに駅には「人身事故の影響によりダイヤが大幅に乱れましたことを、心よりお詫び申し上げます」との貼り紙が出る。それを見るたびに私は腹が立つ。「何が『心よりお詫び』だ。心にもないことを書くな」と腹立たしく思うわけです。電車に飛び込んだ奴が悪いので、自分たちは何も悪くない。むしろ自分たちの方が被害者なのだ。だから死んだ奴の遺族には、今後たっぷりと損害賠償を請求させてもらうつもりだ。正直にそう書けばいいではないか。
ところで、神聖かまってちゃんの「るるちゃんの自殺配信」という歌の歌詞に、

中央線に飛び込んで
はた迷惑な奴だと言われて
いつだってそこにいたんだ
少女はさっさと死んじゃった

とある通り、こういうことをする人は、何度かリハーサルを行なうのが常であります。それは空想の中で行なう場合もあるし、上のビデオに出てくる少女のように、実際に踏切の前に立ってみることもある。飛び込んだらどんなに怖いだろうか、痛いだろうか――そんなことを何度も何度も考えるのです。よく「衝動的に飛び込んだ」と言われますが、衝動的に飛び込むことができる人は、少しのきっかけで飛び込む用意ができている人です。困ったことに、自分がそんな状態にあることが、自分自身でもわかっていない人もいるのです。
ここまで来ると、もはや絶体絶命です。その人が死を免れるかどうかは、確率の問題でしかありません。
このCARAMEL CANDiDというバンドは、絶望感をさりげなく表現するのが巧みですね。さぞ苦しかろうと、胸をえぐられる思いがします。

最近観たYouTube動画から(2)

2023年5月のデトロイト公演で、ヴォーカルの厚見彩姫。ウィキメディア・コモンズより。

BAND-MAIDの「Shambles」

先日ご紹介したBAND-MAIDの新曲「Shambles」が、ステージで初披露されたようです(2023年8月14日、カリフォルニア州サクラメント)。


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凄い曲ですね。またこのファンカム、画質・音質ともにすばらしいクォリティです。これは前々から感じていたことですが、BAND-MAIDはたいていの場合、運営側が制作したミュージック・ビデオで観るよりも、ライブ映像で観る方がいいですね(もちろん、ナマで観るのが一番なのでしょうが)。そういう意味では、2016年の初のワールドツアーの当初から、YouTube上に盛んに投稿されてきた海外のファンによるファンカムが果たした役割は大きいと思います(私自身、BAND-MAIDはファンカムで知ったので)。それは1970年代前半、大量に出回ったレッド・ツェッペリンのブートレッグが、ツェッペリンの世界的名声を高めるのに貢献したのと同じです。
下はその2016年のワールドツアーのしょっぱなのメキシコ公演のファンカムから、インディーズ時代の曲「Shake That!!」。


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東京初期衝動の「兆楽」「黒ギャルのケツは煮卵に似てる」


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こんなけしからん曲を、わざわざ台湾まで出向いてってくるとは、まさに日本の恥ですな。しかしこの東京初期衝動というのもなかなかの実力派バンドで、もう少し周知されてもいいように思います。まあ、インディーズ志向という面はありますが…前に「日本におけるジェンダーギャップがガールズバンドのモチベーションを支えている」と書きましたが、その歴然たる証拠が下の「高円寺ブス集合」という曲です(この「バニラ行きまーす!!」という歌詞は、ほんと笑えません)。


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最近観たYouTube動画から

2023年5月、デトロイトのセント・アンドリュース・ホールでのBAND-MAIDウィキメディア・コモンズより。

「朗報」としてのBAND-MAID

よその国はどうか知らんが、少なくとも今の日本においては、国民のほとんどが時代に絶望し、自分自身に絶望している。これだけは間違いのないことのように思われます。
わが国の国力は衰退の一途をたどっている。これについては、誰一人としてなすすべを知らない。政治の責任を問う声もあるが、そもそもこの状態の根本的要因、すなわち人心の腐敗という要因は、行政や教育が今さら何とかできる問題ではありません。このような事態を招いたのは、戦後の無理な経済復興そのものに、さらに言えば、78年前に終わったあの戦争そのものに原因があるのです。われわれは戦禍から不死鳥のごとくよみがえろうとした。だが残念ながら、われわれは不死鳥ではなかったのです。
これはあくまで日本国内に限っての話ですが、毎日のように報道される「異常」にして「現代ならでは」の事件、毎日のようにネットの掲示板やコメント欄に書き込まれる「常軌を逸した」意見、そうして(私はもうSNSとは縁を切ったので本当のところはわかりませんが)おそらくSNS上では今なお毎日のようにやり取りされているであろうところの多くの「狂気じみた」誹謗中傷と同様に多くの「狂気じみた」賞賛の嵐、わけのわからん「提案」もしくは「誘惑」の数々とこれらに不随関連するもろもろの空しい労力と時間の浪費。このありさまを眺めていると、「われわれは一体何のために生まれてきたのだ?」と天に向かって問いかけたくなるのはむしろ人情というものでしょう。
従って、この国のこの時代において、もはや何をやっても無駄だと開き直るのもアリかとは思いますが、ひょっとすると、あきらめるのはまだ早いかも知れません。これは私としては比較的最近になって――特に昨年(2022年)の秋以降、BAND-MAIDの音楽を本格的に多く聴くようになってから抱き始めた印象です。特にあの(すでに何度も触れておりますが)「from now on」のごとく時代を超越した観のある名曲については、これに接するたびに、「今の日本もそれほど捨てたものではないかも知れん」との想いを強くするのです。確かに国力の衰退は覆うべくもないが、これに対して国内の創造的なパワーは、これに抵抗する形で、かえってこれに反比例して高揚しているのかも知れない。むしろ今の日本には、世界レベルのレジェンドを誕生させる機運が高まりつつあるのかも知れない。その一端が、このBAND-MAIDというロックバンドの活動にうかがわれるのではないか。そんな気がいたします。
「from now on」のリンクは前にも貼ったので、ここでは新曲「Shambles」のリンクを貼っておきます。


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上の曲を聴いて、個人的に想いを新たにするのは、BAND-MAIDの活動力の源泉には、何かしらフラストレーションもしくはジレンマのようなものが横たわっている気がする、という話は前にもしました。これはもちろんメンバー個人個人の性的欲求不満というような低レベルのものでは全然なく、またコロナ禍の活動制限によるストレスというような一時的なものでもない。ではその正体は「世界征服」の野望がなかなか達成されないところから来る憤懣でしょうか。だとすると、理屈の上では、この野望が達成された瞬間にBAND-MAIDの音楽は終わる、ということになりますが、どうもそういうものでもないらしい。とすると(前にも指摘した通り)それはやはり日本におけるジェンダーギャップなのでしょうか。今の日本は沈みゆくタイタニック号で、映画なら女子供から優先的に救命ボートに乗せるところでしょうが、今の日本の男性は、自分一人が助かるためなら、女性を何人犠牲にしてもかまわないかのように見える。しかしこのような悲惨な状況は、BAND-MAIDのような女性アーティストたちにとっては、むしろ有利に働くのです。それだけモチベーションが上がるからです。

CARAMEL CANDiDのことなど

BAND-MAIDの動画は、最近のUSツアーのファンカムの類もたくさん観たので、その感想も書きたいところですが、長くなるのでまたの機会に譲るとして、BAND-MAID以外の動画の中で、一番驚いたのはやはりこれでしょうかね。


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音楽と映像のギャップが凄まじい。このアーティスト、かつて某有名アイドルグループに所属していた元アイドルとのことですが、幸か不幸か、私は全然存じ上げないので、むしろ単なる一新人アーティストとして、今後を見守りたいと思います。
これに負けず劣らず衝撃的だったのが下の動画です。


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この「CARAMEL CANDiD」というのは4人組のガールズバンドだそうですが、このバンドのサウンドは、他の楽曲を聴くと、きわめて古いロック――「はっぴいえんど」とか、こちらの記事で触れた「ジャックス」とかの音を連想させる。ここで一つ指摘しておかなければならないのは、こうした古い形式の音楽(BAND-MAIDもそうですが)は、おっさんがっても「二番煎じ」に終わるだけですが、若い女性がると、そこに新しい生命が吹き込まれる。古い形式が新しい意味を帯びるわけです。そういう意味では、今はむしろ男性アーティストの方が不利な時代だとも言えると思います。
もう一つ、注目に値するのは歌詞ですね。この「CARAMEL CANDiD」はYouTubeでは、今のところまだ2曲しかオリジナル曲を公開しておりませんが、どちらの曲も(BAND-MAID同様)、歌詞にたっぷりとを含んでいます。「日本のアーティストは社会問題にコミットしたがらない」という話を、こちらの記事にラッパーの方が書いていらっしゃるが、私はラップにもヒップホップにもまったく興味がないのですが、洋楽ファンの端くれとして、非常に強く同感するところであり、また日本のロックの海外のリスナーからもたびたび指摘される点でもありますが、時代は変わりつつある――日本は変わりつつある、という印象を、私は受けます。
他にも面白い動画が多々あるのですが、予定の文字数を大きく超えてしまったので、この辺で。

「あなたが欲しい」他一篇(一部押韻)

「酔って怒っている人」。ac-illust.comより。

夢でもらったこのブーケ

夢でもらったこのブーケ
差出人はあの道化
「人妻殺しの美少女よ

たまには死んでちょうだい」と

よだれ垂らしてご来店
百花繚乱料理店
くちびるを見せびらかして
客がキャストを食うお店

今日も仰天 有頂天
百花繚乱料理店
皿まで食って死にましょう
毒を制する毒でしょう

あなたが欲しい

人を食べたい
 生き血が欲しい
 我慢できない
仕方なくない?
まだ若いもん
 お腹空くもん
 もっと生きたい
まだ死にたくない

あなたが欲しい
 愛し合いたい
 だから最近
ちょっと接近
たまに挑発
 なのに反発
 あの子優先?
残念過ぎん?

あなたの彼女
 汚ない便所
水がさらさら流れない
いつも泥酔
 もらす小水
大洪水のこの汚水
監禁してもまた失禁
だからそろそろ手切れ金

わたしは便所
 便利な少女
水に流してあげるから
たまにふっても水に流す
 たまにぶっても水に流す
実に美味なるこの生き血
切っても切っても水に流す
 刺しに刺しても水に流す
吸えば吸うほどいい気持ち
性器は武器
 本気で好き
今日も今日とてこの凶器

あなたが欲しい
 食い殺したい
 これが十代
抱いてちょうだい
うんと殺して
 もっと殺して
ちゃんと昇天したいから