魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

吉川永春『乱世を看取った男・山名豊国』

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山名豊国像。ウィキメディア・コモンズより。

表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


吉川永春『乱世を看取った男・山名豊国』(角川春樹事務所)を読了して。
応仁の乱を引き起こした山名宗全の末裔・山名豊国(法名「禅高」1548 - 1626)が、戦国時代の荒波にもまれながら、自分の意地や誇りを投げ捨て、その終焉を見届けるべく奮闘し、上級旗本として山名家を生き残らせた、「生き残り戦術」の物語です。

山名家の窮状

足利幕府の成立に功を上げ、「六分の一殿」と謳われた五代前の山名宗全入道(持豊)の頃には十国を領したが、その影響力の大きさ故に室町幕府の後継者争いに翻弄され、山名家の家運は衰退の一途をたどっていった。
山名家の領地は但馬・因幡を残すばかりになっていた。その上1557年、山名家と盟友関係にある周防すおうの大内義長が、新興勢力の毛利元就もとなりに敗れ、自害した。また桶狭間の戦い今川義元が討たれ、息子・今川氏真うじざねは弔い合戦をする様子が見られない。これを皮切りに、織田信長は武将として名をあげ、徳川家康は、人質として過ごした今川家のくびきを徐々に離れる。
ここから山名家は、怒濤のごとく押し寄せてくる、新興勢力の毛利家と織田家のどちらと手を組むのか、あるいは臣従するのかを遠からず選ばなければならない状況だ。
出雲・伯耆ほうきを治めていた尼子あまこ晴久の没後、還俗した尼子勝久や武将・山中鹿之助しかのすけ幸盛の動静にも気を配らなければならない。
1560年、兄・豊数とともに元服し、幼名の九郎から豊国と改め、伯父の但馬守護・山名祐豊すけとよの娘・藤を正室に迎え、名ばかりの名門・山名家を再興させるべく出発する。
実兄・数豊との関係は、決して良好とはいえず、寧ろライバル関係に近いものだったが、後年、死病に罹った豊数は、自分の胸の丈を打ち明け、自分と同じてつを踏むなと諭す。
この“和解”は後に豊国を助ける役割を果たす。

第一次鳥取城の戦い

1580年5月16日、羽柴秀吉が、鳥取城下に攻め込んでくる。
かねてから、石垣を倍高く積んで備えていた。毛利家の援軍は望めない状況だ。
鉄砲と弓矢を使用したゲリラ戦で、何とか羽柴軍を撃退する。
しかし鳥取城は守ったものの、因幡衆が毛利家に差し出していた大事な人質(豊国の娘・蔦姫をはじめとする)が託された鹿野城しかのじょうは、5月26日に落城した。
早速、羽柴秀吉に降参するかどうか、軍議を開く。
軍議では重臣の森下道譽どうよ用瀬もちがせ伯耆守や中村春続はるつぐが無理勝手な机上の空論を言い合い、まとまらなかったが、伯父・山名祐豊の逝去の訃報を聞いた豊国は、鳥取城開城を決める。蔦姫ははりつけにされる寸前だった。
鳥取城は吉川きっかわ経家つねいえが入ることになった。豊国は鹿野城の名ばかりの守護になるが、森下道譽らの押し込めの企みに遭い、逃亡するが、その過程で長子・庄七郎を射殺される。

得度

山名家の菩提寺妙心寺東林院で得度をする。妙心寺五十六世・九天くてん宗瑞そうずいの導きによる。
彼の法話により、姿形は法体ほったいになったが、所領や宗家そうけを無くしても、やはり武士であることには変えようもないと悟る。
かねてから参陣の誘いを受けていた、姫路城・羽柴秀吉のもとへ、傅役もりやくの岡垣次郎左衛門と共に赴く。秀吉は、軍師・黒田官兵衛を連れて騒々しく上機嫌で現れる。
秀吉は、豊国に尋ねる。何故三ヶ月の籠城戦が可能だったのか。現場兵士の意思統一ができたのか。
豊国は答える。
「籠城に必要な物資は、全て私が用意しましたので」
「は?」
秀吉は声を上げた。
因幡をよく知る禅高は力説する。今は稲の刈り入れには遠く、毛利が兵糧ひょうろうを回すことも難しい。鳥取城を攻める絶好の機会だと。「しかし梅雨が来る」と黒田官兵衛は言った。

1581年6月、第二次鳥取城の戦いが始まる。「鳥取かつえ殺し」と言われる戦だ。
鳥取城を誰よりもよく知る禅高は、羽柴の本部付きとなり、黒田官兵衛とともに策を練る。
米を高値で買い占め、農民200人以上を鳥取城に追い込み、兵士1400人とともに籠らせた。たちまち窮地に陥った吉川経家は、開城と自分の首を和睦の条件とする。他の者は助命願う。
秀吉はその条件でよしとするが、禅高はここを先途と訴えた。
織田家と毛利家が争ったのは、元々は因幡衆の不明にございます。禍根は断たねばなりません」
「森下道譽と中村春続の二人のことか」
「さよう。生かしておけば必ず羽柴様に背きましょう」
鳥取城の戦いは、吉川経家切腹と、森下と中村の首をもって終了した。
鳥取城には宮部継潤けいじゅんが城主として入った。
秀吉は禅高が正論を言いながらも、その実、息子の仇討ちをしたことを知っている。

これ以後、関白となった山名禅高は、秀吉自らの勧誘を受けて、お伽衆として出仕することになる。
その目的は、足利幕府の名門・山名家の家名の利用だろうとは思うが、娘を側室として差し出している以上、嫌とは言えないのだった。
秀吉の九州征伐に帯同し、歌を詠んだりもした。

家康との出会い

1588年4月14日、聚楽第落成式に内心面白くない気分で参加した禅高は、徳川家康と出会う。家康は「そなたのことは、垣屋かきや豊続とよつぐ殿から聞いている」と自然に話しかけてくる。今日の役目は終わったという家康に誘われるままに、家康の宿所に行き、膳を囲むことになった。
世の人が古いものをとうとぶならそれを逆手に取る。徳川家が新田家の庶流というのは嘘だが、それで下の者を束ねるのも、民百姓を案じるのも楽になる。それが天下を治める道につながる。
自分のしてきたことは無駄ではなかったと腑に落ちた禅高は、家康に近侍することになる。秀吉のお伽衆としての務めは歌会や茶会の時のみとした。

これ以後、関ヶ原合戦では、亀井新十郎玆矩これのり麾下きかとして自ら出陣した。勝者となった家康は、禅高に但馬国・村岡六千七百石を与えた。禅高が戯言ざれごとで言った「百分の一殿」の夢は叶ったのだ。

戦国時代の終焉を見届ける使命を果たし、側室と傅役に看取られて、1626年10月7日、静かにこの世を去った。
治世は家光の時代になっていた。

地味ではあるが、人生の岐路において、選択を誤らなかった男の物語です。
お楽しみください。
天一

BAND-MAIDのことなど(「メイドさんの話」パートⅡ)

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2019年9月、ニューヨークのグラマシーシアターで公演するBAND-MAIDウィキメディア・コモンズより。

<目次>

「永遠メイド主義」

以前「メイドさんの話」という記事を書いた頃、私はメイド喫茶には行ったことがなかった。実は今も行ったことはないのですが、それ以後に出来た知人(アラサー女子。仮にA子としておく。別に付き合っているわけではない)がメイド喫茶にハマっていて、いろいろ話を聞かされるので、あらためて記事を書く気になりました。
A子によれば、メイド喫茶通い」などと言えば気楽に聞こえるが、その実態は苦難に満ちている。「推し」のメイドさんに会うには長い列のうしろに並ばなければならず、そうして延々と待たされたあと、やっと「お帰りなさいませ、お嬢様!」と歓迎してもらっても、他にもたくさんの「ご主人様」や「お嬢様」が来店しており、メイドさんは建前上、皆に平等に「お給仕」しなければならないので、決して「推し」が独占できるわけではない。結局ひとことふたこと口を利いただけで時間が来て「いってらっしゃいませ、お嬢様!」と放り出されて、ふたたび長蛇の列のうしろに並び、入店の機会を待つ…これを一日繰り返すのが「メイド喫茶遊び」というものらしい。よくもそんな空しいことに金と時間と労力をつぎ込めるものだとあきれますが、A子に言わせれば、A子の「推し」のメイドさんはまだそれほど人気が無いからましなのだそうで、A子の連れのB子(二十歳の女子大生。ちなみにここでの「連れ」は「カップル」の意ではない)など、「推し」のメイドさんがその店のトップクラスの人気者で、完全に天狗と化しており、B子が来店してもそっけないだけでなく、そのメイドさん関連のもろもろのグッズ(直筆サイン入りチェキとか)を大量に購入するよう命令される。「メイド」が「お嬢様」に「命令」するとは、まさに「革命的」と言わざるを得ないが、B子は「まあ、こんなもんっすよ」と別に不満もないらしい。何でもA子によれば、B子はその「推し」のメイドさんの誕生日には鼻息荒く、万札を数枚握りしめて出かけていったそうで、あれはおそらくラーメン屋でのバイト代(A子とB子は同じラーメン屋で働いている)をほぼ全額「推し」につぎ込んでいる、とA子はせせら笑うが、私に言わせればA子の散財の仕方も似たり寄ったりなので、そのうち「推し」に貢ぐ金に困って二人そろって風俗堕ちするのも時間の問題だらうと私は見てゐる。
このように書くと、彼女たちは自分たちの容姿がパッとしないから、それで可愛いメイドさんたちに憧れたりするのだろう、という風に誤解する向きもあるかも知れないが、そうではありませんで(特にA 子は実年齢よりもざっと十歳は若く見られがちな、橋本環奈似の美人)、二人とも本人たちにその気がありさえすれば、男たちが決して放ってはおかないであろうタイプです。ただ彼女たちにとっては男性との交際よりも、この「メイド喫茶」という「非日常空間」の方に強い「癒し」と「快楽」を感じるらしい。


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先日、A子の「推し」のメイドさんが、他の何人かのメイドさんと一緒にこの「永遠メイド主義」を(時々とちりながら)踊っている動画をツイッターで見たのですが、それをそのままここに貼るのははばかられるので、代わりにこの動画を貼っておきます。ちなみにこれは「お嬢様限定ライブ」の映像だそうで、どうも「お嬢様」たちの方が「ご主人様」たちよりも熱狂的というか、声援の送り方に羞恥心が感じられない気がするのは私だけでしょうか?
とはいえ、メイドさんたち、確かに可愛い(KAWAIIですよね。このようにして、ある国々におけるある時代のある人々のための「作業服」であった「メイド服」が、現代の病める日本においては「非日常空間」を演出するための一つのツールと化しているのであった。

リヴィング・ラヴィング・メイド」の歌詞

ここでふと思い出したのでついでに触れておくと、昔のイギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンLed Zeppelinのセカンド・アルバム『LED ZEPPELIN II』(1969年リリース)にリヴィング・ラヴィング・メイド(Living Loving Maid)」という歌(歌詞全文の日本語訳はこちら)が入っているが、あれはメイドさんの歌ではありませんで、まさしく風俗堕ちした女性の歌です。タイトルの “Living Loving Maid” の中の “maid” という言葉は “maiden” (「乙女」「処女」)の意。ただしこの歌の三番目の歌詞に、

With the butler and the maid and the servants three.
(執事とメイドと三人の召使いとともに)

こちらの “maid” は文字通り「メイド」の意です。
ちなみにこの歌のサブタイトルの “She's Just a Woman” ですが、ここでの “woman” は “lady” と対立する概念で、「彼女はかつては『貴婦人レディ』であったが、今はただの『ウーマン 』に過ぎない」という皮肉と嘲笑を込めたリフレインとなっております。この歌に限らず、レッド・ツェッペリンの歌詞の多くは相当女性蔑視ミソジニー的なものであると言うことができる。以上、「大きなお世話」的な解説でした。

メイド服の「神通力」

「バンドメイド(BAND-MAID)」というロックバンドがある。
ちなみに私の職場の机の引き出しには、常に一箱の「バンドエイド(BAND-AID)」が入っている。これはアメリカのジョンソン・エンド・ジョンソン社の製品だと言われているが、「バンドメイド」は純日本産のバンドである。


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威風堂々たるものだ。ちょっと調べてみると、このバンドのメンバーはオルタナティブなど、他のジャンルからシフトしてきた人たちばかりなので、そこいらのヘビメタ一辺倒のカスバンドとは格が違うのです。
上の一曲を聴いただけでも、このバンドが世界に通用するレベルの演奏力を有していることがわかる。とはいえ世界に通用するレベルの実力派ロックバンドというのは日本にはごまんといるので、その中でこの「バンドメイド」が一歩先んじる形で海外進出の手がかりをつかんだとするならば、それにはやはりこのメイド服の「神通力」によるところが大きいと言っても過言ではあるまい。
この「バンドメイド」は「可愛らしいメイド服を着てハードロックをることによるギャップで売る」という明確なコンセプトを持つバンドだが、実際にメイド服を着ているのは五人中三人だけで、メイン・ヴォーカルとベースの女の子はゴシック風味の黒いワンピースを着ておりますね。くわえてセカンド・ギターの女の子のステージ・アクションにはロリータ・ファンがよろこびそうなところがある。すなわちこのバンドには日本発祥の「ゴシック&ロリータ」の要素があり、これがまた海外受けする一因ではないかと思われる。どうしてここでこじつけ丸出しでゴスロリの話を持ち出してくるかというと、日本語版ウィキペディアの「ゴシック・アンド・ロリータ」の項に、こんなことが書いてあるのを見たからです。

ゴシック・アンド・ロリータとオタク文化は相反する存在であるとの見解もある。例えば、メイドカフェに見られるようなアキバ系のコスプレファッションの本質はゴシック・アンド・ロリータとは全く違う。メイドカフェのメイドが一部の人々の享楽のためにあるのに対し、ゴシック・アンド・ロリータは、それを着る少女達を精神的に癒すもので、ただ自分のためだけに着飾るものである、云々。

何だって?それじゃメイド服に人権はないというのか?ゴスロリを着た少女たちはすべて誇り高く胸を張っているのに対し、メイド服を着たメイドさんたちは皆着たくもない服を無理やり着せられて、顔を赤らめ、下を向きながらいやいや「お給仕」をしているとでもいうのでしょうか?おそらく話はその逆で、多くの少女たちはメイド服姿にあこがれ、プライベートでメイド服を着て街を歩く勇気はなくとも、仕事でなら大っぴらに着られると思い、メイド服デビューのその日を夢に見ながらメイド喫茶の面接を受けに行くのではないでしょうか?


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上の “After Life” という曲のミュージック・ビデオは、曲も素晴らしいが、メイドさんたちが大暴れするシーンが面白くて気に入ったので、ご紹介しました。

日本語で押し通そう!


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上の “Thrill” という曲は、今のところ「バンドメイド」の代表的なヒット曲ということになっている。ちなみに私は日本人だが、この曲の冒頭部分の歌詞は、何度聞いても聞き取れない。
一般に欧米のポップソングの歌詞は単純素朴で分かりやすいのが多いのに対して、日本のポップソングの歌詞は複雑怪奇でわけのわからんのが多い。直感的に理解できるものでも、これを外国人に説明するのは大変です。


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上の「この恋はスクープされない」という曲、これはA子に教えてもらった曲で、日本人なら誰しも「いい曲だ」と感じるであろうと思うのでここに例として挙げますが、たとえばこの歌詞を英訳したとして、外国人に理解できるかしらん?「この恋はスクープされない?それがどうしたと言うのか?フォロワーが少ないことを嘆いているのか?」などと真逆の意味にも取られかねない気がします。
この点、歌詞がわからなくても楽しめるのが痛烈なビートに支えられたハードロック系の音楽の長所ですね。「バンドメイド」のヴォーカリストはなかなかの歌唱力の持ち主で、そもそもヘビメタ系のヴォーカルというと、甲高い声でただギャーギャー喚いているだけ、というイメージが強いが、彼女の表現には一定の繊細さが感じられる。とはいえ外国の多くのリスナーたちは、おそらく歌を聞いているというより、ただ声に反応しているだけでしょう。それがロックだ、と言ってしまえばそれまでです。が、しかし。



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この “Daydreaming” のようなバラード調の曲で、客席から上がるコーラスの声を聴いていると、この聴衆はただ単に歌詞を記憶しているだけでなく、歌詞の意味を理解することによって、もっと深く「バンドメイド」の音楽を楽しもうという明確な意欲を持っているように見える。これはまったく驚くべきことです。
考えてみると、もし日本のアーティストが海外進出を目指すなら、この道以外にありません。なぜなら言うまでもなく日本人は世界一英語が下手くそだからです。この辺を憂慮した文部科学省は、英語を小学校からの必修科目としたようですが、そんなことをしても駄目なものは駄目なので、日本人に英語ができないのはもっと深いわけがあるからであって(その「わけ」とは何なのかは私も知りませんが)、決してわれわれの努力が足りないからではありません。音楽的才能に恵まれた普通の日本人が、宇多田ヒカルやMai Kurakiレベルに上達するまで英語の勉強に励んでいたら、曲を書く暇がなくなって、せっかくの才能が干からびてしまうでしょう。したがって「バンドメイド」のこのスタンス、すなわちあくまでもBroken Englishと日本語で押し通し、海外のファンには日本語を勉強してもらおうというスタンスは、今後海外進出を目指す多くの日本人アーティストのお手本となることであろうと思われます。

多島斗志之『不思議島』

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「来島海峡急流観潮船」で「うずしお体験」を楽しむ観光客。360navi.comより。

表題のミステリー小説につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。

はじめに

多島斗志之『不思議島』(徳間書店)を読了して。
この物語の舞台は、瀬戸内海に浮かぶ島々です。十二歳の時、誘拐された過去を持ち、遠距離通学で、四国松山の大学を卒業後、伊予大島の公立中学に数学科の教師として着任した二之浦にのうらゆり子がヒロイン。一月前に伊予大島に赴任してきた療養所の医師、里見了司とともに、漁師の栄吉の協力を得て船に乗せてもらいながら、我が身に起こった誘拐事件の真相に辿り着くまでの約十日間を描いています。
二之浦ゆり子の家庭環境は、入り婿ではあるが、現職の町会議員であり、直近の町議選にも打って出ようとする父親・礼次郎。美貌だが躁鬱病に苦しみ、通院の欠かせない母。高等師範学校卒の祖母・ハツ。東京の大学卒業後、父との約束通り、今治の会社に勤める妹・ちあき。
そして、祖父の没後、勘当が解け、家に出入りするようになった母の実弟(叔父)で、医大中退の落ち着いた雰囲気の父とは違い、如何にも抜け目のなさそうな精力的な印象の庄吾の五人です。島中皆顔見知りばかりで、無責任なうわさが飛びかねない封建的な気風が残る島では、村上水軍の末裔を誇る二之浦家は、地元の名士と言えるでしょう。里見了司は、三十歳前後の独身医師なので、嫌でも島の人々の耳目を惹きます。
本人のいうには、喘息の転地静養を兼ねて島の診療に応募したらしい。また、服装にはあまり構わず、自分でも気になることがあると納得するまで調査をしないと気が済まない気性の持ち主です。
今治いまばりと伊予大島を結ぶフェリーに乗り合わせたことから、急スピードで交際が始まります。

伝説を語る里見医師はゆり子の心に入り込む。

400年前、戦国時代、村上水軍帆別銭ほべつせん櫨別銭ろべつせん(=通行料)を支払わず、夜間霧に紛れて来島くるしま海峡を通り抜けようとした船があり、成功したように思われたが、たった今通り抜けたはずの島が目の前に現れ、結局くぐりぬけは失敗した。船頭と水夫は掟により首をねられたが、炊事係の少年だけが生き残って、来島海峡には「不思議島」があると伝えた。そのそっくりの島・不思議島(伏木島)の存在は過去の文献で明らかにされているから、自分はその謎を解いてみたいと語った。その為にトレッキングシューズも購入した。
下田水しただみ港付近の駐車場に車を置いてきたゆり子は、里見を送りがてら、自宅に招待した。
祖母は里見を歓迎、ちあきも愛想よくするが、母は里見をじっと見つめただけだった。
里見は「ワイ潮」として謎解きされた潮流を自分の目で確かめたいので船を出せる人がいたら紹介してくれないかと頼む(日時まで指定して)。
この時から、里見はゆり子の心にスルリと入ってきた。裏には里見の思惑が隠れていた。

里見とゆり子は実験を行う。

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馬島から見た中渡島。白い建物はかつて潮流信号機のあった灯台。lighthouse-japan.comより。

祖父と縁のあった漁師の栄吉の船で、馬島うましま中渡島なかとしま潮流信号機を超えて南下する。中渡島の立ち入り禁止の立て札のある潮流信号所でデートとなった。以前のゆり子には考えられない事。
栄吉の船が能島のしまを過ぎ、ゆり子と里見の眼前に九十九島つくもじまが現れ、里見の「この島が文献に出てきた伏木島かもしれません。上陸できますか?」と栄吉に尋ねる声を聴いたとたん、ゆり子は冷や汗が出て、うずくまった。十五年前の誘拐事件を知る栄吉は、すぐさま進路変更し、友浦に船を寄せた。実験は中止となった。

ゆり子は自分の誘拐事件を洗い直す決心をする。

ゆり子の帰宅直後、町議選立候補の根回しで忙しいであろう叔父が来ていた。
「ちあきに聞いたが、宮窪の診療所の医師と付き合っているだって?この町にも妙な余所者が入ってくるから、しっかり気いつけろよ!」
ゆり子は不愉快になった。
少し眠り、落ち着いたゆり子は、里見からの夕食の誘いに応じ、車を運転して出かける。
昼間栄吉の言った通り、霧が出て不透明な夜だった。
島に一軒だけあるホテルで夕食を済ませた後、車の中でゆり子は昼間里見の実験を中止させた事をわびた。
里見は実は自分は誘拐事件を知っていたと言った。診療所の年配の看護師から聞いて、今治の図書館で、十五年前の誘拐事件の新聞記事をコピーしたと言って、ゆり子に見せた。
新聞記事の横には、祖父の背に隠れて顔だけのぞかせているゆり子の写真と、九十九島の全景写真、大島付近の概略図が掲載されていた。
里見は言った。
「誤解しないでほしい。君に興味を持った後でこの誘拐事件に興味を持った。順序が逆なのだ」
車から出て、里見と霧の夜の散歩をしたゆり子は、問わず語りに事件後の自分の心境を話した。誘拐事件の被害者の立場を忘れられないこと。父は自分をお姫様扱いにして妹と差をつけたが、ちあきはグレなかったこと。結局誘拐事件は、二之浦家が警察に届けずに、身代金500万を届けたせいか、犯人不明のままになったこと。
自分としては、思い出したくないが、背中の手の届かないところに泥が付いている気分になることがある、と里見に打ち明け、同時に今、事件の真相を少しでも知りたいと思うようになった。

ゆり子と里見は真相に迫るか?

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伝説のうら若き女武者「鶴姫」が着用したとされる「紺糸裾素懸威胴丸」(重要文化財)。胴回りが異様に細く作られている。大山祇神社の公式サイトより。

ゆり子と里見は、大三島大山神おおやまづみ神社(日本で現存する唯一の女武者用の鎧「紺糸裾素懸威胴丸こんいとすそすがけおどしどうまる」、その他国宝や重要文化財に指定された武具が奉納されている)にドライブ・デート。その後、誘拐事件を担当した所轄警察署を訪問するが、当時の担当刑事は留守だった。
その後、里見とともに、連絡の取れた田平刑事と能島で会うことになった。
ゆり子は、誘拐事件の真相を知りたいが、里見の強引さに呆れもした。
だが、田平の態度はゆり子に同情しながらも、にべもなかった。
「もう時効だし、何せ手掛かりが少なすぎた。身代金の金額も二之浦家には短時間で用意できる、泣き寝入り可能な金額だった。つまりは、真相が知りたかったら、ご家族にせがんでみたらどうですか」
との返答だった。
犯人は二之浦家の誰かであるが、皆何らかの共通認識をもって、知っていてかばっている。

父と叔父の諍い

その夜、父に尋ねようと夜遅くまで待っていたがが、居間には見知らぬ届け物があった。
車庫から叔父と父の話が聞こえた。
「義兄さん、俺はどうも不安だ」
「大丈夫だと言っているだろう」
ガシャン!何かが砕ける大きな物音がしたので、ゆり子とちあきはパジャマのまま、居間の様子を見に行った。
「何が大丈夫だと!」
叔父が荒い語気で父に詰め寄った。
今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気です。叔父も町議選に立候補している(選挙区は棲み分けている)。
父は黙って叔父をにらみ返していた。二人とも縁側にいた。父は娘たちに気が付くと言った。
「何でもない。選挙のことだ。部屋に戻りなさい」
叔父は二人から気まずそうに目をそらした。

翌朝ゆり子は、石灯籠近くに砕けた陶器を発見する。

翌朝、担任分担会議終了後、父が運転する車で自損事故を起こし、右足を骨折したとの電話が祖母から入った。普段はしっかり者の祖母でも、こういう緊急事態にはあまり役には立ちません。叔父がフェリーで、父を今治第一病院まで運んでくれたそうだ。
いつもは慎重すぎるぐらいの運転をする父が、事故?
叔父は親切ごかしをしているのではないか?里見にも島を出ていくように強く迫ったらしい。叔父の二之浦本家の当主の座を狙っているのだろうか?ちあきと従兄弟・潤也の交際を認めているのもその布石だろうか?誘拐事件では、父は身代金を運んだが、叔父も何らかの“役割”を果たしたのではないのだろうか?

果たして真相は?

余りにも苦い真相を知ったゆり子の行動は?
一つの誘拐事件を多面的に、執拗に追う里見医師の出した結論は?
何故証言能力があるゆり子が狙われたのか?ゆり子が解放されたのは本当に九十九島か?
父親に溺愛されたゆり子の母親は、扱いに困るような存在に見えるかもしれないが、彼女が沈黙を貫いているから、二之浦家は醜聞から守られている。その沈黙の重みに耐えかねて、治る見通しが立たない躁鬱病を患っている。角度を変えてみると、二之浦家の人柱かもしれない。聡明なはずの祖母は、誰でも知っていた島の噂にも、真相にも辿り着かない。

村上水軍の歴史的な背景や、瀬戸内海の小舟での島巡りも楽しめます(地図も掲載されています)。ゆり子とちあきの姉妹の性格の違いもよく描かれています。
第106回直木賞候補作、お楽しみください。
天一

米澤穂信『黒牢城』

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角川書店による『黒牢城』の広告。amazon.co.jpより。

表題の歴史小説…というよりも推理小説(?)について、一天一笑さんから紹介記事を頂いておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


米澤穂信よねざわほのぶ黒牢城こくろうじょう』(角川書店)を読了して。
戦国時代・天正年間、織田信長の天下がほぼ確定しつつある時期に、敵わないのを承知で謀反を起こした二人の武将がいる。信貴山城に立て籠った松永弾正久秀と、有岡城に籠城しながら、結局は一切を見棄てて逃亡した荒木摂津守村重です。
本書では、荒木村重有岡城に籠城した1578年~1579年までの時々刻々に変化する城内の様子を描いています。「序章・因」「第一章・雪夜灯篭」「第二章・花影手柄」「第三章・遠雷念仏」「第四章・落日孤影」「終章・果」の六章から構成されています。

1578年10月、嘗て伴天連ルイス・フロイスが「甚だ壮大にして見事」と評した有岡城で、粛々と籠城に備える仕度が進んでいた。
つまり、荷駄が運び込まれる。荷駄の中味は、米・味噌・塩等の食糧の他に、金銀銅貨などの貨幣、鉛・玉薬ぎょくやく・鉄・皮などの武器、燃料の薪炭等を運び入れていた。
用を果たした者たちは、一様に安堵した表情で足早に去ってゆく。
瞬く間に噂が立った。
“戦が近いぞ”
誰と誰が戦うのか?

そのような状況下、織田方と小寺こでら藤兵衛政職まさもとの二人の主人に仕える黒田官兵衛が、使者として訪ねてくる。官兵衛は織田麾下、羽柴秀吉の命令によって有岡城を訪れていた。
茶人の側面も持つ村重は、違い棚に名物の茶壷<寅申とらさる>を飾った広間に黒田官兵衛を案内する。官兵衛の用件は、ズバリ「この戦(謀反)は勝てませぬ」「毛利右馬頭うまのかみ輝元殿は、有岡城の救援には来ませんぞ」
官兵衛の話を聞き終えた荒木村重は叫ぶ。
「出会え!殺すな。刀を奪え。生け捕りにせよ」
官兵衛は、組み伏せられ、猿轡をかまされた。
「殿、こいつをどこに移しますか?」
土牢つちろうに入れよ。誰にも会わせず、殺さず、わしがよいというまで生かし続けよ」
この時代、使者は会談が終われば返すのが定法。帰さないのであれば斬るのが定法。
武門の習いに、虜囚はないのです。猿轡を外された官兵衛は叫ぶ。
「武門の習いに無いことをすれば、必ず因果は巡りましょう」

荒木村重は、戦国の下剋上を体現した人物でもあります。もともとは、国衆池田家に仕える家臣・荒木弥介であったが、池田家で頭角を現し、やがて池田家の当主・池田筑後守勝正を放逐し、主家を乗っ取る形で荒木家を興しました。権謀術数をめぐらし、裏切りを重ねた結果として摂津守に上り詰めました。帰依する宗教の違いや人間関係も入り組んで一筋縄ではいきませんでしたが、成り上りました。
さらに、息子・村友の正室として明智光秀の娘を迎えましたが、殺さず、この頃には既に送り返しています。当然摂津の国衆からも、人質を預かります。
黒田官兵衛も、息子・松壽丸しょうじゅまる黒田長政)を織田家に人質として預けています。
官兵衛が戻らない時点で、松壽丸の身の上はどうなるのか?

荒木村重は、御前衆ごぜんしゅうと呼ばれる武将たちを抱えています。
家老格の瓦林かわらばやし能登のとや、一門衆の荒木久左衛門きゅうざえもん、妹婿の野村丹後。
御前衆のこおり十右衛門じゅうえもん、秋岡四郎介しろうのすけ、伊丹一郎左衛門、いぬい助三郎、森可兵衛かへえ
雑賀衆鈴木孫一郎や通称・下針などの人物が出てきます。
さらに村重が美濃斉藤内蔵助との交渉の使僧としていた無辺も殺されてしまいます。
側室の千代保ちよほ(=荒木だし)は荒木村重と親子ほど年が離れていますが、我儘を言わず村重を支えます。高山右近の実父・高山飛騨守大慮も有岡城に詰めています。

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NHK大河ドラマでの「荒木だし」の処刑シーン。medium.comより。

第一章では人質の安部自念じねんが、村重が殺すなと命じたにもかかわらず、殺されてしまいます(暗殺されます)。凶器の弓が消えているのです。家臣たちに聞き取り調査をしても、埒があきません。互いに疑心暗鬼を抱きます。考えあぐねた村重は、地下牢に足を運び、黒田官兵衛の知恵を借ります。囚われていても頭脳明晰な官兵衛は、狂歌をもって応えます。
誰がどの様な目的を持ち、どのような方法で安部自念を死にいたらしめたのか?
この章では、下手人と目された御前衆の一人が手柄を立てますが、死にます。
その最期を見た者は誰もいません。

こうして、章が進むにつれ、陣太鼓がなるたびに、軍議が開かれるごとに、荒木家の家臣団の人数が減ってゆきます。その都度、行き詰まった荒木村重は、誰を信じてよいかわからず、官兵衛に相談します。官兵衛は忖度することなく、出来事の核心を突きます。
官兵衛の生死を確かめ、救出するべく、栗山善助ぜんすけ有岡城本曲輪ほんぐるわに忍び込むが、荒木村重は、善助を殺さず、監禁しておきます。

荒木村重遁走後、生き残った御前衆たちの身の処遇はどうなったのか?
有岡城落城後の家臣たちと妻子親族の運命は?
黒田官兵衛栗山善助たちに救出され、羽柴秀吉の勧めに従い、有馬温泉で養生したものの、歩行するには杖が必要な体になった。自戒を込めて、魔に魅入られたような有岡城での日々を振り返る。
そこへ、二人連れの客人が訪れる。客人の一人は竹中源助と名乗る。官兵衛の見出した光明とは?

毛利家が助けに来ないのを、何処かで解っていた有岡城の物語。籠城に必要なのは一致団結した人材だと痛切に悟った荒木村重の落ちゆく先と、その後の人生は?
どうぞお楽しみください。
天一

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「アモンティラードの樽(The Cask of Amontillado)」

アーサー・ラッカムによる挿画

アーサー・ラッカムによる挿画。ウィキメディア・コモンズより。

フォルチュナトからこうむった無数の迷惑については、忍の一字で耐え忍んできたものの、彼が敢えて俺をおとしいれるにおよんで、俺は復讐を誓ったのだった。だがあなたは、俺の気性をよくご存じだから、俺が決して「仕返ししてやる」などと口に出して言わなかったことはおわかりだろう。俺はいつかは復讐するのであって、それは確定した点で――その確定性はリスクの観念を排除した。俺はただ罰するだけでなく、罰せられることなしに罰さなければならない。不正を正す者が報復を受けるようでは、不正は正されたことにはならない。同様に、復讐者が相手にみずからを復讐者だと思い知らせてやることが出来なければ、やはり不正は正されたことにはならないのだ。
俺はフォルチュナトに対する好意を言行両面において疑われないようにした。俺は以前と同様、彼の前では笑顔を絶やさず、そうして彼は俺が今は彼の破滅を思って笑っているのだということに気づかなかった。
このフォルチュナトという男は、他の点では敬われ、恐れられてさえしかるべき人物だったが、一つだけ弱点があった。彼は酒の味がわかるのが自慢だった。いったいイタリア人で、真の愛好家ヴィルチュオーソの精神を持っている者はきわめて稀だ。彼らの熱狂は大抵は、時と場合に応じて、イギリスやオーストリア金持ちミリオネアを引っかけるために装われる。絵画や宝石については、フォルチュナトも他の同郷人と同様、詐欺師だったが、彼の古酒にかける情熱は本物だった。そうしてこの点では俺も実質的に同類で、イタリアの銘酒ヴィンテージに凝っており、事あるごとに大量に買い込んでいた。
ある日のたそがれどき、カーニバル・シーズンの喧噪の中で、俺は彼とばったり出くわした。彼は酔っていて、上機嫌で近づいてきた。体にぴったりしたサイズの、さまざまな色のストライプの入った服を着て、頭には鈴のついた円錐形の帽子キャップをかぶっていた。俺は彼に会えたのが本当にうれしくて、いつまでも彼の手を握っていた。
「フォルチュナト、いいところで会った。今日はいつもより一段と元気そうだね。ところで俺は今し方、アモンティラードらしきものをパイプ樽で仕入れたんだが、疑わしいんだ」
「何?」と彼は言った。「アモンティラードを、パイプ樽で?あり得ない。しかもこのカーニバルの最中に」
「疑わしいんだ」と俺は答えた。「俺は馬鹿だから、君に相談もしないでアモンティラード分の代金を丸々支払ってしまった。君は見当たらなかったし、チャンスを逃すのが惜しかったから」
「アモンティラード!」
「疑わしいんだ」
「アモンティラード!」
「確かめないと」
「アモンティラード!」
「君は忙しいから、俺は今からルケージに会いに行くところなんだ。この世に違いのわかる男がいるとすれば、彼だ。彼に聞けば――」
「ルケージにアモンティラードとシェリーの違いはわからない」
「でも彼は君に匹敵する酒利きだと言う馬鹿もいるから」
「行こう」
「どこへ」
「君んちの酒蔵ヴォールトへ」
「待てよ。それでは君に迷惑がかかる。君は忙しいだろう。ルケージ――」
「忙しくないさ。行こう」
「待てよ。忙しくなくても、君は風邪を引いているだろう。うちの地下室ヴォールトは湿気がひどい。硝石だらけなんだ」
「かまわん、行こう。風邪は何でもないんだ。アモンティラード!君は騙されたんだ。ルケージはといえば、奴にシェリーとアモンティラードの違いはわからない」
こう言って、彼は俺の腕を取った。自分のパラッツォまで引きずられるようにして帰ってきた俺は黒いシルク仮面()マスクを着け、膝丈の外套ロクロールをぴったりと身にまとっていた。

ロクロールの画像

ガストン=ジャン=バプティスト・ド・ロクロール(Gaston-Jean-Baptiste de Roquelaure, 1617 - 1683)。アントワーヌ・ド・ロクロール元帥(1543 - 1625)の息子で、将校・冒険家。ロクロールを着用している。ウィキメディア・コモンズより。

家には誰もいなかった。カーニバルで、家の者は皆遊びに行ってしまったのである。俺は前もって「朝まで帰らないから、お前たちはしっかり留守番をしていろ」と厳命しておいた。そうすれば、俺が背中を向けるや否や、一人残らずいなくなるだろうことは目に見えていた。
俺は壁付燭台スコンスから二本の松明ランボーを取り、一本をフォルチュナトに手渡すと、幾つかの続きの間を通って、地下室ヴォールトにつながる拱道アーチウェイへと彼を丁重に招じ入れた。足もとに気をつけるよう声をかけながら、長い長い螺旋階段を下るうちに、俺たちはやがてモントレゾール家のじめじめとした地下墓地カタコンベへと降り立った。

トーチ用のスコンスの画像

フィレンツェはストロッツィ宮のトーチ用スコンス。ウィキメディア・コモンズより。

フォルチュナトは千鳥足で、歩くと帽子キャップにつけた鈴が鳴った。
パイプは」と彼は言った。
「まだ先だ」と俺は答えた。「だがその前に、このほら穴の壁に光っている白い蜘蛛の巣のようなものを見てくれ」
彼は振り返って俺の目の中をのぞき込んだが、その目は酒気による分泌物リューマで、とろんとしていた。
「硝石か」彼はようやくたずねた。
「硝石だ」俺は答えた。「君はいつからそんな咳をしているんだ」
「う!う!う!――う!う!う!」
かわいそうに、彼はしばらく質問に答えられなかった。
「何でもない」彼はやっとのことで言った。
「よし」俺はきっぱりと言った。「引き返そう。君の体が大事だ。君は金持ちで、敬われ、讃えられ、愛されてもいる。君は幸せ者だ、かつての俺のように。君はかけがえのない人なんだ。俺のことなんかどうでもいい。引き返そう。君が体を壊したら、俺は責任を取れない。ルケージが――」
「大丈夫だ」と彼は言った。「この咳は何でもない。俺は咳では死なない。俺は咳に殺されたりはしないぞ」
「もちろん」俺は答えた。「何も君を怖がらせようと思って言っているのではないよ。ただ用心に越したことはないからね。湿気から身を守るために、このメドックを一杯飲もう」
俺はここで地べたにずらりと寝かせられている酒瓶ボトルから一本を抜き取って、栓を開けた。
「飲んで」と言って、俺は酒を差し出した。
彼は俺を横目でにらみながら飲もうとして、やめた。そうして俺に向かって軽く会釈した。鈴が鳴った。
「いただきます」と彼は言った。「俺の周囲に眠っている人々の冥福を祈りながら」
「俺は君の長寿を祈って」
俺たちはふたたび腕を組んで、先へ進んだ。
「この地下室ヴォールトは」と彼は言った。「ずいぶん広い」
「モントレゾール家は」と俺は答えた。「結構大きな家だったんだよ」
「君んちの紋章アームはどんなだっけ」
「紺地に金色の巨大な人間の足。蛇を踏みつけていて、蛇はその足のかかとに喰らいついている」
「モットーは」
「『私を怒らせる者はただでは済まない(Nemo me impune lacessit)』」
「なるほど」と彼は言った。

"Nemo me impune lacessit" のモットーが入ったアザミ勲章の画像

"Nemo me impune lacessit" のモットーが入ったスコットランドのアザミ勲章(星章)。ウィキメディア・コモンズより。

彼の酔眼は輝き、鈴は鳴った。俺自身も酔いが回って、何だか夢を見ているような気がしてきた。俺たちは人骨の山やカスク樽やパンチョン樽の間を通り抜けて、地下墓地カタコンベの奥へとやってきた。俺はふたたび立ち止まって、今度はあつかましくもフォルチュナトの二の腕をつかんだ。
「硝石だ」と俺は言った。「次第に増えて、地下室ヴォールトを苔のように覆っている。ここは川床の真下なんだ。湿気が雫となって、人骨の間をしたたり落ちる。この辺で引き返さないと、取り返しのつかないことになる。君の咳は――」
「何でもない」と彼は言った。「行こう。だがその前に、もう一杯メドックをくれ」
俺はデ・グラーヴの小瓶フラコンの栓を抜いて、彼に手渡した。彼はそれを一気に飲み干した。彼の目は爛々と輝いていた。彼はげらげら笑いながら酒瓶ボトルを宙に放り上げ、何か俺には理解できない身振りをして見せた。
俺はびっくりして彼を見た。彼は同じ動作を繰り返した。グロテスクな動作だった。
「わからないか」と彼は言った。
「わからない」と俺は答えた。
「では君は会員ではないな」
「え」
「君はメーソンではないな」
「いや、いや」俺は言った。「いや、いや」
「君が?あり得ない。メーソンか?」
石工メーソンだ」
合図サインは」
「ほら」と言って、俺は膝丈の外套ロクロールのかげに隠し持っていたこてを取り出してみせた。
「駄洒落かよ」彼は二三歩後ずさりしながら叫んだ。「だが、それよりもアモンティラードだ」
「そうだね」俺はそう言って、こて外套クロークのかげに収め、ふたたび彼に肩を貸した。彼は俺にずっしりと寄りかかってきた。そうして俺たちはアモンティラード探しの旅を続けた。低い拱門アーチをくぐり抜け、下へ降り、前へ進み、また下へ降りて、やがて一つの地下聖堂クリプトへとたどり着き、そこでは空気が悪くて俺たちの松明ランボーはもはや微光を発するのみとなった。

パリのカタコンベの写真

パリのカタコンベの「人骨の壁」。ウィキメディア・コモンズより。

この地下聖堂クリプトの一番奥に現れたのは、より狭いもう一つの地下聖堂クリプトだった。パリの地下墓地カタコンベに見られるような様式で、壁にずらりと人骨が並び、それが天井まで積み上げられていた。四つの壁のうち、三つはこのようにして覆われたままであったが、最後の壁からは人骨が取り除かれて、雑然と地面に散らばっており、ある箇所ではある程度の大きさの人骨の山が出来ていた。このようにして骨が取り除かれたことでむき出しになった壁の奥には、高さが二メートル、幅が一メートル、奥行きが一メートルと少しくらいの更に奥まった空間リセスが認められて、それは何も特別の用途のためにしつらえられたものではなく、ただこの地下墓地カタコンベの天井を支えている巨大な石柱のうちの二本の間に出来た隙間インターバルで、その向こうはこの地下墓地カタコンベ全体を取り巻いている堅固な花崗岩の壁の一部となっていた。
フォルチュナトは消えかけの松明トーチをかざして内部なかをのぞこうとしたが無駄だった。その暗い光ではとても奥までは見えなかった。
「進んで」と俺は言った。「その奥にアモンティラードがある。時にルケージは――」
「馬鹿だ」と言いながら、彼はふらりと先を行き、俺は彼のうしろにぴったりとついて中へ入った。一瞬後、彼は空間ニッチの突き当たりに来て、壁以外に何もないのできょとんとしていた。次の一瞬後、俺は彼を身動き出来なくした。花崗岩の壁の表面にはU字釘ステープルが二つ、数十センチの間隔を置いて水平に打ち込んであり、その片方には短いチェーン、もう片方には南京錠パドロックが下がっていた。彼の腰にリンクを渡して錠を下ろすのに暇はかからなかった。彼は全然抵抗しなかった。俺は錠前からキーを抜くと、その空間リセスから外へ出た。
「壁をさわってみろよ」と俺は言った。「硝石だらけだろう。実際、ひどい湿気だ。もう一度頼むから、引き返してくれないか。駄目だというなら、俺は君を置き去りにする以外にない。だがその前に、俺は自分に出来る限りのささやかな配慮をしなければならない」
「アモンティラードは」まだ事態が飲み込めない様子の彼が言った。
「ああ」俺は言った。「アモンティラードさ」
こう言った時、すでに俺は前に言った人骨の山に向かっていて、それをかき分けると中から大量の石材とモルタルが出てきた。俺はこれらの材料と隠し持っていたこてとを使って、せっせと空間ニッチの入口を塞ぎ始めた。
フォルチュナトの酔いがほとんど醒めたらしいことに気づいたのは、まだ石の一段目を積み終わらない頃だった。空間の奥から「うーむ」という低い大きな声が聞こえてきて、それは酔っ払いの声ではなかった。それから長い間、かたくなな沈黙が続いた。俺は二段目、三段目、四段目と石を積んでいった。するとその時、チェーンを烈しく揺さぶる音が聞こえてきた。その音は何分か続いて、その間、俺は手を休め、人骨の上に腰を下ろして、いい気分でそれを聴いていた。音が収まると、俺はふたたびこてを手にして、五段目、六段目、七段目と積んでいった。新しい壁は今や俺の胸のあたりまで来た。俺はふたたび手を止めて、松明ランボーを壁の上にかざし、その弱い光で内部なかの人影を照らし出した。
鎖につながれた男の咽喉のどから、突如として甲高い叫び声が噴出バーストし、俺は吹っ飛ばされたかのように後ずさりした。俺は一瞬ためらった。一瞬怖くなった。俺は細剣レイピアを抜いて、壁の向こうの空間リセスを恐る恐る突っつき始めた。だがすぐに思い直した。俺は地下墓地カタコンベの堅固な造りに手を触れて、気を落ち着けると、ふたたび壁に近づき、叫び返した。俺は彼の大声に大声で応じ、声の大きさと力強さとで彼を圧倒した。すると彼は静かになった。
もう真夜中で、俺の仕事も終わりに近づいていた。俺は八段目、九段目、十段目の石を積み終え、最後の十一段目を積み上げつつあった。あと一つだけ石をはめ込んで、固定すればよかった。石は重かった。俺はやっとのことで石をしかるべき位置に積みかけた。ところがその時、向こうの空間ニッチから低い笑い声が響いてきて、俺はぞっとした。続いて聞こえてきた悲痛な声は、とてもあの高貴なフォルチュナトのものとは思えなかった。声は言った。
「ははは――ひひひ――うまい、実にうまいジョークだ――ひひひ――パラッツォに帰ったら、大笑いしようじゃないか――ワインを飲みながら――ひひひ」
「アモンティラードだよ」と俺は言った。
「ひひひ――ひひひ――そうだ、アモンティラードを飲みながらだ。だがもうずいぶん遅くなった。妻や、他の者たちが心配しているだろう。帰らないか」
「ああ」と俺は言った。「帰ろうよ」
一生のお願いだ、モントレゾール!
「ああ」と俺は言った。「一生のお願いだ」
だがこれに対する返事がなかなか無くて、俺はしびれを切らして叫んだ。
「フォルチュナト!」
返事はなかった。俺はもう一度呼んでみた。
「フォルチュナト!」
やはり返事はなかった。俺は未完成の壁の開口部アパーチュアから、松明トーチを一本差し込んで、内部なかへ落としてみた。けれどもただ鈴の音が返ってきただけだった。――地下墓地カタコンベの湿気のせいで、胸糞が悪くなってきた俺は、さっさと仕事を片付けることにして、最後の一石をしかるべき位置に押し込み、固定した。この新しい石造建築メーソンリーの前に、俺は元通り人骨のランパートを築き上げた。その場所はその時のまま、五十年間放置されている。安らかに眠れ!